ベルセルクの降魔の儀についての考察|因果律により選ばれた存在
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この記事では、ベルセルクの降魔の儀についての深掘り考察を
- ベルセルクの降魔の儀についての考察|選ばれた存在
- ベルセルクの降魔の儀についての考察|人間性
- ベルセルクの降魔の儀についての考察|最後に
以上の項目に沿ってご紹介させて頂きます。
ベルセルクの降魔の儀についての考察|選ばれた存在
ベルセルク、降魔の儀とは一体何なのかについての考察~人間性とは?~
ベルセルクに登場する数多の異形の使徒達。
彼らは皆、因果律に選ばれ、『降魔の儀』を経て転生を果たしており、例外はないようです。
今回はその『降魔の儀』と、その時に断ち切らねばならない『人間性』とは何かについて考えてみたいと思います。
降魔の儀
使徒は皆、因果律により選ばれた存在です。
彼らは皆、運命的に『異界からの喚び水』と言われる『ベヘリット』というアイテムがその手に転がり込み、人生におけるどうしようもない最悪の瞬間に流す血の涙にベヘリットが反応し、ベヘリットを通じてゴッドハンドを召喚します。
ゴッドハンドは召喚者の最も強い欲望を満たす為に降臨しますが、伯爵の時のように、本当にそれだけを満たす為であり、融通はきかないようです。
また、その最も強い欲望を満たす為に通りすぎなくてはならないのが、
『降魔の儀』
です。
降魔の儀では、生贄を要求されます。
それは単なる地肉ではなく、召喚者の心の一部、召喚者自身の一部とも言える存在でなくではならないようです。
それを魔に捧げるよって、自らの人間性を断ち切ることになるようです。
人間が生きていくには、水と空気と同じように欲望が必要不可欠です。
欲望を叶えたいと意志が無ければ、足を一歩踏み出すことすら出来ません。
それには一歩踏み出したいという欲求が伴うからです。
しかし、人間の欲望は抑制され、大方の人間は自身が望む事の何割をその人生に成す事ができるかと問うと、その答えは大方が少ない割合になるはずです。
人間は欲望が無ければ生きていけませんが、逆に、欲望に素直過ぎても長生きは出来ないでしょう。
使徒への転生は己の欲望を余す事なく満たす為の強靭な身体と精神を手に入れる事になりますが、それを成すには『人間性』が邪魔になるのでしょう。
では、その人間性とは一体何なのでしょうか?