新潟県燕市教育委員会の教育長の謝罪について|感想
感想
人間は様々な事を感じたり考えたりする生き物ですし、何を感じたり考えたりするかも自由ですし、そうあらねばならないと思います。
しかし、それはあくまで個人的とか私的なレベルでの事であり、公にする発言や文章などにそれを発表するならば、それは事前に熟考すべきでしょう。
もしかすると想いが強い余りに書かずにはいられなかったのかもしれませんが、それはそれで、その文章を配布された方々はその場で何も感じられなかったのかとも思えてしまいます…
また、謝罪の文章には
『人間の愚かさを憂いたもの』
とありますが、甲塚はこの部分に問題を感じます。
人間という存在を俯瞰で見るのは自由ですが、どんな視点で見るにしても、見る側も人間であり、人間を愚かだと感じているなら、見ている自分も愚かであると…
甲塚には性悪説を教育方針の基本としておられるように感じられますが、現場に立って子供達と触れ合うような機会は教育長殿には与えられていないのでしょうか?
そんな機会に恵まれていたなら、今回のようなことは起こらなかったんじゃないかと甲塚は思います。
最後までお読み頂き、誠に有難うございました。