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【鬼滅の刃175話考察】黒死牟と縁壱の思想の違い|鬼になる者ならぬ者

鬼滅の刃
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【鬼滅の刃175話考察】黒死牟と縁壱の思想の違い|執着する者しない者

【鬼滅の刃175話考察】黒死牟と縁壱の思想の違いについてこの記事をご覧いただきましてありがとうございます。

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この記事では鬼滅の刃175話から黒死牟と縁壱の思想の違いについての考察を、

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【鬼滅の刃175話考察】黒死牟と縁壱の思想の違い|執着する者しない者

黒死牟と縁壱の思想の違いについての考察~執着する者しない者、鬼になる者ならぬ者~

鬼滅の刃第175話では、己の最後を間近に感じる黒死牟が、弟縁壱との若き日の会話を回想していましたが、この会話が兄弟が違う道を行く結果になった思想の違いを如実に現しているように思います。
 
今回は継国兄弟の思想の違いから鬼になる道を選んだ黒死牟について妄想たっぷりに考察してみます!

 

執着する者しない者

人間が人間たる証の一つは物事への執着心であると言っても過言ではないでしょう。
 
基本的に、人間は自分が積み上げてきたものには愛着しんが生じて、それを手放し難くなりますよね?
 
甲塚はそういう愛着、執着の感情は情の生き物である人間としては、ごく自然な心情であると考えます。
 
黒死牟…いや厳勝と縁壱の会話から、厳勝は自分達が生み出し、練り上げ、極めた技に対して愛着、執着の心が強かったようです。
 
そりゃあ、せっかくの優れた技を生み出したのに、それをみすみす途絶えさせてしまうのは普通の人間なら耐えられないでしょう。
 
甲塚もそういう立場にあるなら、厳勝と同じようなことを感じはずです。
 
しかし、縁壱は自分達が生み出した技に執着する心はなく、『長い長い人の歴史のほんの一欠片』としか考えていないようで、さらに自分達を凌ぐ者が現れ、自分達の領域までたどり着くだろうと口にしています。
 
厳勝と縁壱には、厳勝が激しい嫉妬を抱くほどの実力差があり、より優れた者である縁壱が『自分達が生み出し、練り上げ、極めた技』は、それほど意味のあるものではないと考えている…
 
縁壱が厳勝より精神的にもより高みにいる事は厳勝自身痛いほどに感じていたことであるはずですが、厳勝が縁壱を『世界の理の外側の存在』として認識したのは、この会話によってではなかったかと甲塚は思うのです。
 
おそらく、厳勝には縁壱が人間以外、人間以上の存在であると見えたのだと思いますね。
 
物事への執着心が無いというのは、仏教でいう悟るという事の一面でもありますからね。
 
しかし、厳勝からは縁壱の思想がどこか絵空事のように見えて、理解し難いものであったと見えますね。
 
 

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