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ハデスと冥界と波旬|終末のワルキューレ51話以降考察

終末のワルキューレ
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ハデスと冥界と波旬|波旬に『至った』とは?

 

波旬に『至った』とは?

ハデスは、

なぜ天界の神風情が…
伝説の波旬に至ったのか…
わたしが聞きたいものだな

というセリフを口にしていますが、ハデスは零福という天界の神が波旬という領域に至った、みたいな言い方をしているように聞こえます。

釈迦も悟りを開いた時に、

『オレ…至る』

と言っていました。

『至る』とは、

ある場所や状態からある場所や状態に行き着く事を意味します。

また、ハデスは波旬を神だとは呼ばず狂戦士と表現しています。

『波旬』というのは、名前だけでなく神が至る特別な領域の事をさしている可能性もあるでしょう。

釈迦は悟りを開いて『仏陀』と呼ばれるようになりましたが、『波旬』は『仏陀』と同じで神の悟りの領域を意味する言葉だったりするのかも?
しかし、第六天魔王とは別記事にも書いているように根本的な迷いそのものである『無明』と同じ意味のものですから、もしかしたや『一切無』という虚無の悟りだったりするのかも?

しかし、零福は希望に満ち満ちて自分は幸福であると実感した状態の中で波旬へと至ったわけですが、やはり何かそういうシステムが働いたとしか思えないですね…

また、ベルゼブブは何か熱心に研究していましたが、もしかしたら神々さえ気づいていない上位存在に気づき、その存在について研究していたりするのかも?

しばらくはハデスとベルゼブブがキーマンになってきそうな感じがしますね!

最後までお読み頂き、誠に有難うございました!

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