スポンサーリンク

【鬼滅の刃178話考察】上弦の壱黒死牟の人生について|誰にでも起こり得る事

鬼滅の刃
スポンサーリンク
Pocket

【鬼滅の刃178話考察】上弦の壱黒死牟の人生について|越えられぬ存在

人は自分が越えられぬ存在に出くわしたときに、どのように動くかでその者の人生の方向性が決まると甲塚は思っています。

諦める、追いつこうと努力する、プライドを捨て頭を下げてそのものに教えを乞う、放っておく、無視して自分に関係ない存在として目を閉じ過ごす、など様々であると思いますが、黒死牟には自分をはるかに凌駕する才能を持つ縁壱は、無視して過ごせない唯一無二の自分の今の立場を脅かす存在でした。

それが、最終的に自分の全てを捨てて鬼になってまで、最初は欲していたそして継ぐことが出来た家督でさえかなぐり捨てて縁壱を超えることが彼の人生になってしまいました。

甲塚は黒死牟は、ある意味本当に純粋な人間らしさを持つ人間であったと思いますし、全てを投げ出す割切りが最後にはできたと思いますが、その結果人である事すら捨ててしまいました。

人である事を捨てた時点で、最後まで人であった縁壱を越えたとしてもそれは本当に黒死牟が望んだ姿であったのでしょうか?

それを岩柱たちとの戦いの最後のシーンで刀に映る自分自身の姿を見て、本能的に悟ったから彼は最後、瓦解したのではないでしょうか?

あの時、あの瞬間になるまで真に自分の選んだ道は間違っていなかったと信じていたのでしょうが、最後の最後で醜い姿になった自分自身を見せられ悔いたあの心は最後の最後で人間であったのでしょうね。

そして、私は一体何の為に生まれて来たのだ。教えてくれ縁壱。と双子の弟に問いながら死んでいく黒死牟でしたが、最後の最後まで自分自身の存在意義が理解できていなかった黒死牟は不幸のようにも見えますが、人間はだいたいそんな者だと甲塚は思います。

お前いったい何のために生まれて来たんだ?とストレートに聞かれ、即答できる人間が何人いるでしょうか?甲塚は177話178話の黒死牟の回想の2話を読み改めて人生は、自分の身の回りに起こりうる事象に環境をどのような考え方、精神状態で受け止めるかにより大きく左右されるものだなと物凄く勉強になった気がしました。

タイトルとURLをコピーしました