【鬼滅の刃170話考察】悲鳴嶼の痣と命に対する認識|他者の幸福を守る為
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この記事では、鬼滅の刃170話の内容から悲鳴嶼の痣と命に対する認識についての考察を、
- 【鬼滅の刃170話考察】悲鳴嶼の痣と命に対する認識|幸福主義?の鬼殺隊
- 【鬼滅の刃170話考察】悲鳴嶼の痣と命に対する認識|悲鳴嶼の怒り
- 【鬼滅の刃170話考察】悲鳴嶼の痣と命に対する認識|実弥、玄弥、無一郎の執念
以上の項目に沿ってご紹介させて頂いております。
【鬼滅の刃170話考察】悲鳴嶼の痣と命に対する認識|幸福主義?の鬼殺隊
悲鳴嶼の痣と命に対する認識に対する考察~他者の幸福を守る為の我が命!~
鬼滅の刃第170話では、黒死牟の口から痣の発現者は25歳を迎えずに死んでしまうという痣のデメリットが明かされましたが、それを聞いた悲鳴嶼はその事実を知っていたとはいえ、全く動じる事がありませんでした!
今回は、悲鳴嶼を始めとする他の柱達も含め、痣と命に対する認識について妄想たっぷりに考察してみます!
幸福主義?の鬼殺隊
甲塚は別記事にて不死川実弥は幸福主義者なんだろうなあと書きましたが、幸福主義者とは『人間は幸福になる為に生まれ、幸福になる為に生きる』という価値観を元に自他共に幸福になろうという考えであると甲塚は理解しています。
これはおそらく全ての柱というか、鬼殺隊の隊員達の共通の鬼殺隊精神のようなものだと感じます。
まあ、中には例外っぽいのも見られますが(笑)
鬼殺隊は、この精神という価値観を元に組織されたのだとも感じますね。
幸福主義に敵対するものは、幸福を妨害したり破壊したりするものであるはずです。
彼らはただ鬼を狩る為に存在しているのではなく、ただ当たり前のささやかな幸福を破壊する鬼という悪を狩る為に存在しているのだと甲塚は考えます。
無論、私怨も含まれているとはおもいますが、私怨は否定せずに幸福を守る為の力にするように耀哉が指導していたようにも思えます。