【鬼滅の刃考察】カナヲと童磨について|何も感じないという悲しみ
何も感じないという悲しみ
童磨は生まれつきかなり知能が高く、子供ながらに人間らしく迷い、悩み、苦しみながら生きている他者を
『頭が悪い』
と感じていたようです。
甲塚的に、童磨は明晰な頭脳、思考能力を持って生まれた代わりに、『感じる』という機能が欠落しているのではないかと感じます。
人間は思考する生き物ですが、その根幹にあるのは『感情』であると思います。
人間は様々な感情を抱き、一瞬一瞬、何かのキッカケでその情緒は変化していくものですが、童磨にはそれが見受けられない。
カナヲは、童磨と接してそれを鋭敏に感じとったようで、仲間の死を悲しみ涙さえ流す童磨を『嘘』だと看破しました。
甲塚も同様に感じます。
童磨は悲しみを言葉にし、涙さえ流していますが、どう見ても情緒が変化しているように見えません。
感情を演じているか、このシチューションにはこう対応すれば良いというマニュアルに従っているだけに過ぎないように感じます。
しかし、カナヲにも童磨と同じく何も感じない精神状態であった時期が存在します。
それは生きる事自体を苦しみだと感じていた貧困時代です。
カナヲは苦しみから生命と精神を守る為、意識的にか無意識にか、完全に心を閉ざしていたのです。
ひもじくない、熱くない、寒くない、痛くないし苦しくもない…
生きているのか、死んでいるかさえ区別をつける必要がない状態…
一般的に考えてみて、それを
『生きている』
いや、
『活きている』
と感じる人間はいないでしょう。
生命がある間は例えどのような状態にあっても生きていると言えますが、感情の生き物である人間は、様々な物事から情緒が変化し、喜怒哀楽を繰り返しながら生活する事で生きている事を実感するはずです。
カナヲは一時、童磨と似たような状態にあった事から、誰よりも童磨の本質をよく感じ取り、それによって出てきたセリフが、
『貴方、なんの為に生まれてきたの?』
なんでしょうね…
頭脳明晰であるはずの童磨がこのセリフには困惑していました。
答えなど見つかるはずがないでしょう。
何も感じず生きてきた童磨にとって『生きる』という事に対して意味を持たせる必要がなく、また見出せないからです。
『何故、生まれてきたのか?』
という疑問は誰しも人生に必ず一度は抱く疑問だと思いますが、これこそ人間の感性、感情の塊みたいな疑問ですからね。
何も感じない…
そんな人間が存在するなら、多くの人間はその人間を不幸であり、悲しみを感じるでしょう。
しかし、童磨はそんな事を感じる事自体を
『頭が悪い』
と表現するのですから、どんなに対話しても全く分かり合えないだろうなあと感じますな。