東京喰種re最終巻16巻を読みシリーズ全体の振り返りと感想|哲学書
哲学書としての東京喰種
東京喰種は、甲塚の人生観に似たものを感じる作品でもあったとも思います。
甲塚は、
『人生の七割は不利益である』
と考えています。
この世に生まれて、自我を持った時点で、人生のほとんどの時間は自分にとって煩わしいと思う事に費やされる事になります。
学校や会社、それにともなう数多課せられる課題。
意識する/しないに関係なく、人間は日々、さほど利益をもたらさない課題の為に時間を費やしています。
それがよく見て七割であり、実際は八割を超えているかも知れません。
こう書いてしまうと何とネガティブな考えの人間だろうかと、自分でも思ってしまいますが、甲塚はネガティブな意味で書いているのではありません。
これは、甲塚の今までの人生と周囲の人達の人生を見ての現在の人生に対する結論というだけです。
これをこのままネガティブにとると、人間は生きていけません(笑)
七割が不利益な事ならば、三割は利益な事だと言えます。
この三割の利益が大事。
利益、不利益で表現したら、結局利益じゃないと言われてしまいそうですが、なら、不利益を不幸、利益を幸福と捉えて下さい。
三割しかないから、人間はそれを幸福と実感でき、また大切に思えるのです。
幸福になりたいという渇望は、人間が活動するエネルギーにもなります。
また、不幸な時間の中にも喜びはあり、不幸な時間はその人間を強くもします。
三割の幸福は当然ですが、七割の不幸さえ、無駄な時間ではありません。
東京喰種のカネキにもおいても、これは当てはまるかと思います。
カネキはre第16巻で、人生におけるこの現象を、『悲劇』だと表現しました。
人間は皆、『悲劇』の主人公であるー
カネキが辿り着いた人生の結論は、上述の人生観を持っている甲塚の心に響きました。
三割の幸福を得る為に費やす七割の不幸な時間…
甲塚はこうも思っています。
一人の人間の人生を自他共に価値あるものとして認識する為に、七割の不幸は必要なものである…
ぶっちゃけ、最初から最後まで全部思い通りにいき、不幸なんて知らない、理解できないという人生、面白いと思えるでしょうか?(笑)