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釈迦の正覚阿頼耶識|終末のワルキューレ第46話考察

終末のワルキューレ
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釈迦の正覚阿頼耶識|正覚阿頼耶識とは?

 

正覚阿頼耶識とは?

『正覚阿頼耶識』について考えてみます!

『正覚』とは、一切の事象の真相を知る無上の知恵であり、仏の悟りそのものを現す言葉です。
この世の全てを正しく知覚するという意味ですね!

で、阿頼耶識とは『第八感』と表現するのが一番理解しやすく思います。
名作少年漫画『聖闘士星矢』にも登場した概念ですが、あの漫画では本来は人間が死に肉体を無くした時に初めて至るものだとされていましたが…

人間には『五感』と『第六感』が存在し、人間はそれを毎日、知覚していますね。

仏教では、眼識(視覚)、耳識(聴覚)、鼻識(嗅覚)、舌識(味覚)、身識(触覚)の五感プラス『意識』がはいり、通常の人間の感覚として捉えられています。
『意識』は肉体的感覚器官がありませんが、それは脳であり精神とか心なんでしょう。

で、第七感として『末那識』が存在しますが、これさ意識とともにある無意識であり、人間が自分という個体を認識する根源的な感覚だと言えるものみたいですね。
自分は自分であるという意識そのもの!

で、第八感か『阿頼耶識』ですが、これは非常に解釈が難しい感覚だと思います。

終末のワルキューレではインターネットのように扱われていますが、この世の過去、現在、未来が全て記録されているという『アカシックレコード』という存在があるなんて言われますか、阿頼耶識とはそれ自体を人間の感覚として表現したものではないかと思えます。
また、アカシックレコードには全てが記録されているわけですから、それはヴァーチャル的な感覚で世界を感じて、自分自身が世界であり、世界こそが自分自身であるということを知覚する事であり、また、今まで世界に蓄積されてきた全てが自分自身であり、今も、これから未来に積み重なっていくものも自分自身であると甲塚は解釈します。

釈迦はそれにより未来視が可能なわけですが、阿頼耶識で考えると、過去視もできるはずで、それはヒルデに対して言っていた『放っておけない』にもつながるのではないかと思います。

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