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終末のワルキューレ91話感想考察|スサノオの奥義・天魔返!

終末のワルキューレ
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終末のワルキューレ91話感想考察|奥義・天魔反

奥義・天魔反


沖田の予測不可能と思える動きを捉えられず、ついに強烈な一太刀を受けたスサノオは怯むどころか滾ると口にし、更に力を解放するような様子を見せていましたが…

スサノオは大きく足を開き、体勢を低くくして、右手に鬼切天叢雲を握り、左の手の平を沖田に向けるという異形の体勢をとります。

それがスサノオの必勝の『構え』であるようですが、その手の平からは『神気』とも言えるような何らかのエネルギーが放たれているようにも見えます。

見た感じ、スサノオは自身の刀が届く間合いを領域としていて、その領域に入った者は、その斬撃を回避する事は不可能…という感じの技を出す構えなんじゃないかと思いますね…

スサノオは沖田に『おれのとっておき』と口にしていますから、これが今のスサノオ最大の技を出す構えなんでしょうね…

沖田もそれを肌で感じとっているのか、スサノオから強烈な剣圧を感じているようですが、当然のごとく、沖田はそれに対して不敵な笑みで応えていますね…

観衆の中に混じる日本人達は、スサノオの異形の構えはスサノオの姿を描いた錦絵そのままの姿だと口にしていますが、そう言われると江戸時代の日本神話の本の挿絵に似たような構えをとるスサノオの絵を見た事があるように思いますね…

宮本武蔵と佐々木小次郎は居合の構えに似ていると感じているようです。

居合とは、その場にいながらにして向かってくる相手の動きに技を合わせて斬るというものであり、自ら動かず相手を動かす受けの技だという事ですが、しかし、それに近いとは感じながらも、それとはまた異質であるとも感じているようです…

相手が動かさねばならない技ならば、動かす為の誘いも必要なわけですが、沖田は危険を承知で動く気満々みたいですから、それは最早必要ないわけですが、並みの剣士ならまずは動けず、参ったというしかないというくらいの剣圧を発しているのだと思います!

人間が神に挑んでいるわけですから、神が受けに回るのは自然であるように思いますが、スサノオは一体どんな技を繰り出すのでしょうか…!?

その様子を月読命、天照大神、伊弉諾が見ているようですが、月読命はやはり人から教えを乞うたスサノオを恥知らずと言って怒っているような事を言っていますが、やはり剣術に生きるスサノオの生き方を認めるというか、羨ましいと感じているのではないかと思いますね…

もしかしたら、そう感じてしまう自分に対して神としては不適切な感情だと自分に対して怒っているのに気づかないふりをしているのかも…?

沖田は間合いに入れば真っ二つにされるというような技だろうと口にしながら、またユラユラと柳のように動きながら少しずつ距離を詰めているようですが、どんな技だろうと自分には当たらないと断言し、更に口角を上げる…

それに対してスサノオも『どうかのう…』と笑みで返しますが、それが合図かのように、沖田は一気にスサノオに向かって走り出す!

真正面から突っ込む沖田ですが、間合いに入るか入らないかというところで、まるで瞬間移動か分子かというような残像が残るくらいに速い左右の動きでスサノオを翻弄しようとします!

一太刀浴びせた時もそうでしたが、やはり沖田の最大の武器はこのスピードなんでしょうね…

この動きで間合いを詰め、懐に潜り込めば、体勢を低くしているスサノオは圧倒的不利になるかと思いますが、スサノオは全く体勢を変えようとしない…

しかし、やはり突き出した左の手の平は照準みたいなもので、沖田の動きに合わせているような雰囲気…

沖田は自分に向けられているその左の手の平から発せられる圧力により、なかなか懐に飛び込めないという感じになっているようですが、スサノオはこの技には間合いの読み合いなど無意味だと口にして、剣が届きそうにない間合いにいる沖田に向けて、ついに鬼切天叢雲を振りかぶり、それを全力で振るう!!

沖田はこの間合いならば届かないと見ますが、彼の本能はその刃が自分に届くと察知したのか、沖田の肉体が条件反射的に勝手に防御体勢をとる!

それは的中し、沖田の菊一文字は強烈な斬撃を受ける事に!

菊一文字は斬撃を弾きますが、その余波が周囲の家々を両断し、精緻に再現された幕末の京の風景が一気に見通しがよくなってしまいます!!

空間ごと切り裂いたみたいな感じに見えますが、佐々木小次郎はこれはスサノオがただ太刀を強く速く振っただけだと解説する!

それだけであんな事になるか!?となりますが、佐々木小次郎はただただ魂消たと言い、強く速く振られた太刀が大気をも切り裂き剣先に真空の刃を発生させ、まるで刃が伸びたように京の町を切り裂いたのだろうという…

おそらく、人類には思いつかぬくらいに永い年月、ただ愚直に剣を振り続けてきた結果なんだろうと結論づけますが、同じ剣士としてスサノオの向上心と剣術に対する愛情を讃嘆するような雰囲気に見えますね…

つまり、呂布奉先の奥義とほぼ同じ技だろうと思うのですが、これは沖田のスピードも全く無意味というような印象…

さすがの沖田も一瞬、死を覚悟したかのように息を荒げているようですが…

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