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しくじり先生!広瀬香美先生、武田真治先生の感想|久々のゴールデン!

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しくじり先生!広瀬香美先生、武田真治先生の感想|作曲家志望で歌手にはなりたくなかった

 

広瀬香美先生は、冬の女王と呼ばれ長らく冬のヒット曲を連発しユーチューバーとしても現在大活躍中です。

1993年にロマンスの神様で170万枚の大ヒットを記録して女性ソロシンガーの記録を更新。

スキー場で流すときは音を下げなきゃ凄すぎて雪崩が起きると言う都市伝説まで出来るほどの声量で5オクターブの音域が出せる天才シンガーソングライターです。

 

しかしそんな広瀬香美先生は、歌手にデビュー時には、

『歌手になる気ゼロなのになんで歌ってんだろ?』

と思っておられたらしく、デビューしてから10年間ライブは拒否しておられたらしいのですが、その理由が、もともと作曲家になりたいと思われていたから。

そんな広瀬香美先生の音楽の才能は幼少期より英才教育で鍛えられたもので、絶対音感の持ち主である広瀬香美先生は、

小学生時代に先生が、こら~!と怒ると、ファミ~!と聞こえ、自分はわかりましたと答えるところを、ドミミミドドと答える少し変わった子だったようです。

ちなみに生徒で出演されていた鬼龍院翔さんは、レファーレ・ファーさんだそうです。

広瀬香美先生は、国立の音大に進学した時に、マイケルジャクソンを見て、マイケルジャクソンに凄い衝撃を受けその時に、マイケルジャクソンの曲を作りたいと思った事がきっかけで作曲家を目指すことになります。

そして何とかマイケルに近づこうと、マイケルのボイストレーナーのセス・リッグスのボイトレを受ける事になりますが、ボイトレの授業料が月に30万円かかる事からすぐに家計が切迫してしまいます。

そのボイトレ代を稼ごうと思い、自分の楽曲を日本のレコード会社に送りまくるが3年間連絡はなし。

しかしそんな中1社からは、声が良いからあなたが歌ってデビューしませんか?とのお誘いを受け、1曲20万円でアルバムを出さないかと言われデビュー。

『Bing』でデビューを果たします。そしてその年に『愛があれば大丈夫』をリリースし、その翌年に『ロマンスの神様』が170万枚の大ヒット!

しかもロマンスの神様は中学の時に既に思いついていた曲だったというから、なんという天才っぷりだと思わずにはいられません。

しかし広瀬香美先生は、この時もまだ私がなりたいのは作曲家だと思い続けていたのです。

しかし世間では本人の葛藤はよそに、冬の女王と呼ばれるほどの大歌手となってしまい、夏はチューブ冬は広瀬香美のような感じになってしまっていました。

しかしボイトレ代を稼ぐために始めた歌手活動が、いつの間にか印税ドカーン!!で歌手活動も本人の意思は置いてけぼりで進んでいく感じになっていきます。

私はこの時に、本物の天才って本来のしたい事をせずとも大成功を成し遂げてしまうので才能って怖いなと思いましたね。

しかしこの後、広瀬香美先生はまだまだ作曲家へのこだわりを捨てきれずにしくじりを連発してしまいます。

ファンのアンケートでは、声が良い、歌詞が面白いなど、曲への評価が全くないことにショックを受け、その後歌詞が書けなくなっていきます。

特に冬の歌詞が書けない理由としては、

夏に書いていたので冬の気持ちがわからない、スキー場もこの時点では1度も行った事がない、曲より歌詞を評価され心がズタズタだったそうです。

当時の事務所からの禁句としては、

  • 特に冬好きではない
  • スキーをやった事が無い
  • 真夏のLAで曲を作っている

以上のことなどは禁句として言ってはいけない事だったようです。

その後もライブをやりましょうというオファーを私歌手じゃないのでと断り続けていた広瀬香美先生は、歌手と言う認識が自分に無いのでファンが居るという感覚も理解できずにいました。

そんな広瀬香美先生も1998年に、広瀬香美THE BESTが190万枚の大ヒットをして、もう仕方ないのでえ気持ちを切り替えてこれからは歌手として認め、歌手としてやっていこうという気持ちに少しはなってきたとの事で、デビュー10周年で初めてツアーコンサートを開催しました。

そんな広瀬香美先生からの教訓は、

やりたいこととできることは違う、人の評価や意見を素直に聞いて、できる事を好きになる努力をしようよ。

との素晴らしい教訓を頂きました。

そして最後にロマンスの神様を歌ってくださり、私も久々に聞きやっぱり良いな~って素直に思い感動でした。

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