パタゴン実在した巨人族|パタゴニアの由来となった種族
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この記事では実在した巨人族パタゴンについて
- パタゴン実在した巨人族|パタゴニアの地の由来となった種族
- パタゴン実在した巨人族|正体はティウェルチェ族
- パタゴン実在した巨人族|相当高いレベルの文明を持っていた
以上の項目に沿ってご紹介させて頂きます。
パタゴン実在した巨人族|パタゴニアの地の由来となった種族
古代の地球は巨人族が支配していた可能性も!?
南米のチリとアルゼンチンにまたがる地域はパタゴニアと呼ばれています。
その名前の由来は
『パタゴンの住む土地』
という意味を持っています。
その地に住んでいたと言われる巨人族のパタゴンの名に由来してつけられた土地なのです。
このパタゴンという名前は16世紀の探検家マゼランによって名づけられました。
16世紀から18世紀にかけて、パタゴンは探検家や船乗りの間では噂になっていまして、当時のイラストにも(タイトル下の画像1と2)パタゴニアを訪れた船員の2倍近くもある大きさの夫婦のパタゴンが描かれています。
現実にいたパタゴンの身長は190㎝程度であったとされていますが、当時の人間の身長から考えれば非常に大きく感じたのでしょうね。
イングランド人としては、はじめて世界一周を成し遂げた、サー・フランシス・ドレーク艦隊のドレーク船長の記録には、背の高いパタゴニア人に出会ったと書き残されています。
また徳川家康に仕えた、イングランド人、三浦按針(ウィリアム・アダムス)はパタゴニア南部の島で、船員と不自然に背の高い先住民族との間に争いごとがあったと報告しています。
イギリス人士官のジョン・バイロンが提出した航海報告によると、パタゴニア人の身長は約198㎝とされていて、身長は高いが巨人というほどではないと記録されています。
これらの記録にあるパタゴンの正体は、パタゴニアからチリにかけて存在していた大柄な先住民族のテウェルチェ族であると言われています。
パタゴン実在した巨人族|正体はティウェルチェ族
テウェルチェ族は文字を使用せず、狩猟を中心に生活をしていて定住地を持たない民族でした。
19世紀にはパタゴニアへのヨーロッパ人の入植が始まり、1879年にはインディオ討伐戦が開始されます。
1885年に最後のテウェルチェ族の族長が降伏し、独立した種族としてのテウェルチェ族の歴史には終止符が打たれました。
そのパタゴニアの北にはボリビアという国があります。
その北東部にあるモホス大平原は、25万㎡にも及ぶ広大な地域で、雨季になると冠水して、乾季になると平原になるという、そのままではとても人が暮らせるような地域ではありませんでした。
しかし、モホス大平原からは、太古に存在したと思われる文明の痕跡が数多く発見されているのです。
この文明は紀元前1000年ころから1200年まで続いたとされていて、高度な土木技術で水害対策を施していた形跡まで発見されています。
パタゴン実在した巨人族|相当高いレベルの文明を持っていた
その土木技術は、人工的に盛り土をして雨季の増水から居住地や耕作地を守るためのロマや、増水時には島のようになってしまうロマとロマを繋ぐテラプレンと言われる高い道路、長方形に作られた巨大な人造湖、それ以外にも水路や運河、広大な農耕地跡、大規模な魚の養殖場などの跡も発見されています。
長方形に作られた人造湖は、短辺が北東と南西に向いており、何らかの法則性を持っていたことがうかがえるような形跡もあります。
かなり多くの人々が生活していたようで、そのピーク時には一千万人以上が暮らしていたと言われています。
また居住地であったロマを発掘すると、多くの土器や埋葬された形跡のある人骨が出てきます。
瓶の棺に入って埋葬されていた人骨なども発見されております。
このことからも想像がつくように文明のレベルとしても相当高いものを持っていたと思われるのです。
アメリカ大陸中南米のシャーマニズム、文化を研究している立教大学名誉教授の実松克義先生はボリビア・アマゾンに存在した古代文化の調査研究を実施されておられます。
この差根間宇先生の調査でも身長が180㎝の人骨が発掘されました。
右足に損傷が見受けられる以外には完全な形をした人骨で
チカ・ルス
と名づけられました。
その特徴からは未知の民族である可能性もあると考えられています。
もしかしたら、テウェルチェ族以外にもパタゴンのモデルとなった巨人族が存在したのかもしれないですね。
この記事でご紹介させて頂く内容は以上になります。
最後まで記事をご覧いただきましてありがとうございました。
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