黄猿と赤犬の関係|どっちつかずの正義とは?
どっちつかずの正義とは?
サカズキの『徹底的な正義』は先程書かせて頂いたシンプルなものだと思います。
青雉クザンの『だらけきった正義』は藤虎の『仁義ある正義』に似ていて、おそらくは民衆に寄り添うタイプの正義なんだと思いますが、ボルサリーノの『どっちつかずの正義』とは、サカズキにもクザンにもつかず、おそらくはその都度に正しいと判断した正義に従うという意味なんだと思います。
自分の確固たる正義というものが無いようにも感じられますが、海軍の大将にまでなっている人物ですから、そんな事は無いと思うんですよね…
ボルサリーノにはボルサリーノの正義というものは確かに存在するが、ボルサリーノは正義とはその都度によって立場も意味も変わるのだという信念を持っているのではないかと思います。
しかし、おそらくはサカズキの法家思想寄りの考えで、基本的に法を犯した者は悪ではあるが、その法が間違っている事もあるでしょう…みたいな考えじゃないかと思いますね。
そういう考えから『どっちつかず』という姿勢になるんじゃないかと思います。
オハラにしても確かに法は犯しているわけですし、彼らが古代兵器発見のキッカケとなって世界に災厄が訪れた可能性も、大海賊時代であれば可能性は低くなく、行き過ぎだったにしても間違いないではなかった…
今の『平和』を維持するためには、犠牲もやむを得ない場合はある…
サカズキがトップにある間には、オハラのような事がまた起こる可能性もあるわけですが、世界では今、何か世界政府にとって不都合な事が起こっているようです。
それに対して『どっちつかず』は『どっち』につく事になるのか…?