【鬼滅の刃177話考察】縁壱の天才と正体について|兄を哀れむ弟
兄を哀れむ弟
縁壱は幼少の頃には虐げられていたようですが、本人は全くストレスに感じる事なく自由であったのでは?と感じます。
兄は弟を哀れんでいたわけですが、兄は武家の長男、世継ぎとして強い侍、日本一の侍になろうと精進していました。
縁壱から見れば、それは武家に生まれたる者への呪いのようなもので、兄はその呪いの影響を受け、自ら苦しみのぬかるみにはまっていっているように見えたのでは?
縁壱が剣を教わりたいと言ったのは、兄の目指す世界を知ろうとする意味があったのかも知れない。
しかし、縁壱は相手を打ち負かすという事に意味を見出せず、ただ不快で悲しい事であると感じたのでしょうね。
炭治郎の父親は感情の起伏がほとんどない植物のような人物だったようですが、縁壱にも似た部分が見受けられます。
もしかすると、透明な世界にというものは、植物の視界であるのも知れません。
植物が物を見るというのも変な表現ですが、生きてこの世に存在しているのですから、何か見たり聞いたりしているが、人間にはそれが理解できない…
それは人間とは違う感覚であり、それ故にその領域に到達したものにしか理解できない感覚、それが透明な世界を見るという事になるのでは?
植物は人間から見れば多くを望まないでしょうし、互いに争う事もなく、ただ自然の営みを続けているだけです。