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【鬼滅の刃176話考察】黒死牟の敗北|圧倒的な強さを見せた上弦の壱

鬼滅の刃
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【鬼滅の刃176話考察】黒死牟の敗北|認識を疑うと崩壊する?

認識を疑うと崩壊する?

認識という言葉は元は仏教の概念であり、認識主体と認識対象があり、主体が対象に対して固執する心が心の苦悩を生み出してしまう云々…
 
まあ、認識主体が自分であり、認識対象は自分以外の全ての物事だと言ってもよいかと思います。
 
認識というものは『世界の中での自分の心のあり方』であると思えます。
 
黒死牟の場合は、強さや勝利というものに固執するという認識の持ち主であると思えますが、黒死牟はその固執ゆえに醜い異形に変貌しました。
 
しかし、黒死牟は不死川の日輪刀に映り込んだ自分の姿を見て自分の認識に疑問をおぼえました。
 
自分はこれを、こんなものを望んでいたのか?
 
そう思うと同時に更なる鬼化に成功した黒死牟の肉体は崩壊を始めました。
 
甲塚は前々から思っていたのですが、鬼というものは認識つまり心や精神がダイレクトに強さとなり、また脆さに繋がっているのではないか?
 
黒死牟は肉体の崩壊が始まりながらもまだ負けを認めようとしませんでしたが、心の奥底から浮かび上がってくる本当の気持ち、思いに嘘をつく事は出来なかったようです。
 
黒死牟は、弟である縁壱になりたかったのです。
 
黒死牟…厳勝から見て縁壱は理想の存在だったのでしょう。
 
しかし、甲塚思うに理想というものは永遠に手が届かないものではないか?
 
逃げ水のごとく捕まえられないものを永遠に追い続けるのには、人が人のままあり続けるのは非常につらい事であるのかもしれない。
 
鬼舞辻は厳勝のそういう認識を見抜き、鬼化へ誘惑したのではないでしょうか?
 
 

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