【鬼滅の刃174話考察】継国縁壱と日の呼吸の強さ|この世の理の外の存在
この世の理の外の存在
黒死牟は柱一人と比較するに圧倒的な実力を持つ剣士であるという事実を前提に継国兄弟の関係を見てみますと、縁壱の強さのほどが見てとれますな。
厳勝は縁壱を
『この世の理の外側にいる』
『神々の寵愛を一身に受けて生きている』
とメラメラとした嫉妬心を込めた賛辞により表現しています。
この独白により厳勝が黒死牟という鬼となった理由も伝わってきますな。
厳勝は、縁壱の強さにたいする嫉妬心と憧れから、人としての限界を超える為に鬼となったのでしょう。
しかし、黒死牟の実力は年老いた縁壱にも通用しなかったのです。
また、縁壱は黒死牟を追い込みながらも寿命が尽きてしまった。
黒死牟からすれば勝ち逃げだと感じてしまうように思えますが、おそらくそうは感じていないでしょう。
そうすら思えないほどに黒死牟と縁壱の間には決して超えられない決定的な実力差が存在していたはずです。
甲塚思うに、縁壱は本当にこの世の理の外側の存在だったのではないか?
黒死牟のモノローグからは超常の力を持つ鬼さえもまたこの世の理から解脱する事は叶わないように思え、また悲鳴嶼は鬼は人間の形が変貌したものであり、鬼にできる事は人間にもできるとモノローグしていました。
あの黒死牟から見て、世界の理の外側にあると言うことは縁壱ができる事を黒死牟はできない、同じく縁壱に追い込まれた鬼舞辻もまた然りということにもなり得ます。
縁壱は人間以上、鬼以上の、存在が別物であるのかも知れない。
故に、痣者でありながら80歳過ぎまで肉体を保つ事ができたのでしょうね。