鬼滅の刃の童磨の強さについての考察|142話の過去話も踏まえて
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この記事では、鬼滅の刃142話現在では胡蝶しのぶと死闘を繰りひろげている上弦のNO2の童磨の強さについての考察を、
- 鬼滅の刃の童磨の強さについての考察|教祖としての童磨
- 鬼滅の刃の童磨の強さについての考察|童磨の生命観と精神性が弱点?
- 鬼滅の刃の童磨の強さについての考察|童磨は敗れるのか?
以上の項目に沿ってご紹介させて頂きます。
鬼滅の刃の童磨の強さについての考察|教祖としての童磨
鬼滅の刃、童磨の強さについての考察~生命の意義を決めつける事の限界~
鬼滅の刃第142話では、上弦の弐である童磨の過去が描かれました。
明らかになった過去も踏まえて、童磨の強さについて妄想たっぷりに考察してみたいたいと思います!
教祖としての童磨
童磨はすでに新興宗教の教祖として人間社会に紛れている事が明らかになっていましたが、彼はかなり幼い頃からその立場にあったようです。
大方の新興宗教は三大宗教のどれかを独自解釈した教義を掲げているものですが、童磨の万世極楽教は大陸仏教の影響を受けつつも独自の『神』を信仰対象とし、教祖はその代理人、預言者であるように思われます。
おそらくは信者との面談から、その信者の悩みに合った答えを神の声、または神の祝福が込められた品を与えるなどし、それを救いとしてしていたのでしょう。
その見返りに神への感謝として金品を受け取る…
しかし、童磨がどのタイミングで鬼になったのかはわかりませんが、童磨は悩める者を苦しみから救う為、信者を食うという方法を取っていたようです。
童磨は信者の生命を絶ち、食う事で悩み苦しみから解放し、神と直結であるとされている自分の血肉となる事で永遠の時を共にし、その魂を高みへと導き、救済しているという理屈を作り、殺戮を繰り返してきたように思えます。
童磨は極楽の存在を完全に否定していましたが、甲塚には自分こそ極楽そのものであり、自分の血肉となる事こそ極楽往生なのだと言っているように受け取りましたね。