ベルセルクの因果律についての考察|ガッツが求めるもの
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いい芝居してますね!サイト管理人の甲塚誓ノ介でございます。
この記事では、ベルセルクの因果律というワードについての考察を、
- ベルセルクの因果律についての考察|哲学の域にあるワード
- ベルセルクの因果律についての考察|全ては因果の流れのままに
- ベルセルクの因果律についての考察|ファルコニア誕生の原因
以上の項目に沿ってご紹介させて頂きます。
ベルセルクの因果律についての考察|哲学の域にあるワード
ベルセルクの因果律についての考察~全ての原因が帰結する未来には何があるのか?~
ベルセルクのワードの中で、物語全てを支配していると言っていい
『因果律』の存在…
今回は、この『因果律』について考えてみたいと思います。
因果律
因果律とは、
『一切の物事は何らかの原因から生じた結果であり、原因が無ければ何も存在しないという原理』
の事を指すようです。
もう完全に哲学の域にあるワードですが、ここでいう『原因』は、『理由』ではないですね。
『理由』は『原因』と混同して使ってしまいがちですが、全く意味が違う言葉であると甲塚は認識しています。
『理由』は、生じた物事に対して、そうなったわけを論理的に整理し、結論づけたものであり、ある意味嘘をつく事も出来ます。
しかし、『原因』は厳然とした事実であり、それがなければそうはならかったはずですから、嘘のつきようのない真実であるはずです。
この世で、例え嘘で覆い隠したとしても、決して変えられないのが『真実』であるので、『原因』は救いようのない真実であるとも言えるかも知れません。
仮に、不治の病で命を落とした幼い男の子がいたとします。
生まれつきの難病であり、誰の過失のせいでもない。
彼が命を落としたのは不治の病が原因であり、それはどうやっても変わらない真実です。
しかし、原因がわかっていたとして、彼の両親は納得できないでしょう。
何故、可愛い我が子が命を落とさねばならなかったのか?
何故、可愛い我が子が不治の病にならねばならなかったのか?
深い悲しみ共に、やり場のない怒り…
それを整理するために人が求めるのが理由です。
仮に、この世に何者かに定められた運命が存在するとして、人はその運命という原因に理由を求めます。
しかし、それは人が運命に対する感情や考えを論理的に整理した結果に過ぎず、真実とはまた違うものかも知れません。
『因果律』とは、嘘や方便を寄せ付けない、真実そのものと言えるのかも知れません。