ベルセルクの降魔の儀についての考察|人間性
人間性
人間性とは、人間が人間社会で生きていく為に必要な要素であり、性質であると言えるでしょう。
それは愛情であり、道徳心でしょう。
伯爵は最初の降魔の儀では、自分を裏切っていた最愛の妻に対する愛憎の苦しみから逃れる為に生贄として捧げました。
しかし二度目は自らの死への恐怖、生への渇望がトリガーとなっており、それを満たす為に娘テレジアを生贄として要求されました。
結果、彼はテレジアを捧げる事が出来ずに地獄に落ちました。
最初は伯爵自身に対する裏切りもあったので、最愛の者ながらも己の行いを正当化し得たでしょう。
しかし、二度目は何の罪もない心優しい娘を生贄として要求されました。
結果的にそれができなかったわけですから、伯爵は己の人間性を、最初から捨てきれていない事になります。
この事から、甲塚は降魔の儀での供物は血肉でも人間性でもなく、
『苦しみ』
であるのだと思っています。
別記事にも書いていますが、甲塚は使徒も贄も立場は変わらないと考えており、使徒も贄も常に魔にたいして生きるという事にたいしての対価を支払い続けているように見えます。
魔とは、単なる魔物ではなく、世界に流れる目に見えない負のエネルギーの流れを言うのかも知れません。