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ベルセルクの法王庁についての考察|名前すら明らかになっていない巨大宗教の謎は?

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ベルセルクの法王庁についての考察|創始者は?

ベルセルク法王庁ベルセルクの法王庁についての考察についてこの記事をご覧いただきありがとうございます。

いい芝居してますね!サイト管理人の甲塚誓ノ介でございます。

この記事ではベルセルクの話の中で出てくるまだ名前すら明かされていない超巨大宗教の法王庁についての考察を

  • ベルセルクの法王庁についての考察|厳格な一神教
  • ベルセルクの法王庁についての考察|創始者は?
  • ベルセルクの法王庁についての考察|千年前の救世主

以上の項目に沿ってご紹介させて頂きます。

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ベルセルクの法王庁についての考察|厳格な一神教

ベルセルク法王庁

『ベルセルク、法王庁と千年前についての考察』

漫画『ベルセルク』の世界において、大多数の人間が信仰する名前すら明らかになっていない巨大宗教…

その中枢は、『法王庁』と呼ばれ、『法王』をトップとして、各地に教会を置き、『神』の教えを守り、広め続けているようです。

今回は、その『法王庁』と『千年前』について考察してみたいと思います。

厳格な一神教

『法王庁』が広める教えは、唯一絶対の『神』への信仰以外は『外道』『魔道』とする厳格なもののようです。

作中では宗教の名前、創始者、戒律すらも不透明ですが、信者数は途方もないものと思われます。

ベルセルク世界の世界地図は明らかになっていませんが、おそらくベルセルク世界のヨーロッパやアジアの一部にまでその教えが広まっているように考えられます。

現在、その教えは形骸化、儀式化が進み、実質、中身の無いポーズだけの宗教となってしまっているように私には感じられます。

苛烈極まりないモズグスという異端審問官が登場しましたが、あの手の人物を高く評価する『法王庁』は、貴族主義であり、民衆の不満を一部の社会的弱者、少数派の人間を『悪』とする事で、その矛先を避ける卑怯で陰湿な体質であるように見受けられます。

『唯一絶対の神への信仰こそが唯一絶対の正義』

それが『法王庁』のスタイルなのだと思います。

迷い、苦しむ民衆の心に救いをもたらすべき宗教が、精神的レベルにおいて民衆から精神の自由を奪い、支配してしまうという、本末転倒な形になっている事を、ガッツの言動がピタリと言い当て、否定しているところに三浦先生の世界観を感じてしまいます。

ベルセルクの法王庁についての考察|創始者は?

ベルセルク法王庁

創始者は?

別記事でも書いていますが、私は御伽話『髑髏の王様』に出てくる『賢者』なる人物が創始者ではないかと考えています。

この賢者は、髑髏の王様こと覇王ガイゼリックに背いた事で現在のアルビオン修道院に幽閉され、ありとあらゆる拷問を受けながらもガイゼリックの罪を『神』に訴え続け、最後には4人とも5人とも言われる天使を降臨させ、一夜にしてガイゼリックが築いた都を地上から消し去ったと言われる人物で、アルビオン修道院は現在『断罪の塔』と呼ばれ、聖地とされています。

『聖地』とされているからには、その賢者は少なくとも法王庁によって聖人として認定されているはずで、彼が祈った神こそ法王庁の神と同一であるはずです。

ベルセルクの物語を読み進めると、法王庁の教えが広まるまでは精霊崇拝や様々な神を信仰する多神教の世界であった事が読みとれます。

もし、賢者が創始者であった場合、賢者はそのような多神教世界を『悪』であると考えたのでしょう。

ベルセルクの法王庁についての考察|千年前の救世主

ベルセルク法王庁

千年前の救世主

ガイゼリックが登場し、大陸に覇を唱えるまでは、無数の都市国家が争い合う戦乱の世で、その戦乱によって人口が激減したようです。

こういう世の中になると、人心は荒廃し、人々は救世主の到来を望むようになります。

この考察において、ここがキーポイントになります。

ここからは私の妄想になりますが…

千年前、救世主は同時に2人現れた、と思えるのです。

武力によって民衆を1つにまとめあげようとしたのがガイゼリック、信仰によって民衆を1つにまとめあげようとしたのが賢者。

しかし、この2人は最初は民衆を1つにまとめあげ、平和をもたらすという目的を同じくする同志、友ともいう認め合う関係にあったかと思われます。

しかし、武力によってもたらされた平和は恐怖政治に繋がり、長続きするものではありません。

賢者の信仰による精神的統一の方がまだ平和は長続きするでしょう。

しかし、両者共に最後には民衆から自由を奪い、支配するという結果に至る事に変わりはありません。

2人は互いの考え方の違いにより半目しあうようになった。

そして、本当にガイゼリックが民衆を苦しめる恐怖政治を始めたなら、2人は完全に敵対するようになったでしょう。

そして2人の関係は『髑髏の王様』の御伽話に結実する。

定説として『ガイゼリック=髑髏の騎士、賢者=天使長ボイド』とイのがありますが、その逆もまた有りと言われています。

私は『賢者=天使長ボイド』はその通りであると考えます。

ボイドは『蝕』の際にその場に集った使徒達を

『人の作りし神ならざる神の小羊達』

と呼んでいます。

『人の作りし神』とは、おそらく賢者時代に彼が信仰していた神を指し、『ならざる神』とは彼を転生に導いた別の神格を指すものと思われます。

彼は人生の極みにおいて、それまで信じていたものが根底から覆る体験をしたものと思われます。

彼が度々口にする『因果律』。

運命とも呼ぶべき抗い難い厳然たる定められた命の方向性。

しかもそれは、人類の『総意』が生み出すものである事。

それを知るに至り、彼は人間に絶望し、『捧げた』のだと思います。

彼の絶望により民衆は恐怖から救われ、彼は結果的に救世主になったのだと思われますが、
天使長ボイドに転生した後の彼の心には何があるのでしょうか?

御伽話の謎

最後に、気になるのは『髑髏の王様』が現在まで語り継がれているという事実についてです。

グリフィスが受肉する前に世界中の人間が見たという『光の鷹の夢』のように、神のお告げのような形で人間に伝わった可能性はありますが、それならそれで、何故その必要があったのかも気になるところです。

また、もしかすると、ガッツ達が『蝕』を生き抜いたように、地上から消えた都での出来事を目撃、体験しながらも生き残った人々がいたのかも知れません。

その人々が語り継いだ可能性もあります。

『髑髏の王様』では、ガイゼリックの生死は判明していませんが、『髑髏の騎士』がガイゼリックとするなら、彼は生き残り、ガッツのように戦い、絶命し、今に至るのかも知れません。

いつか真相が語られるのでしょうが、それが待ち遠しくてたまりませんな(笑)

この記事でのご紹介は以上になります。

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!

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