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霊視と心の修行について|仕組み

霊視仕組み修行 オカルトは甲塚にものを言わせろ!
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霊視と心の修行について|最近ではスピリチュアルやメッセンジャーとも言われていますが

霊視仕組み修行

霊視と心の修行についてこの記事をご覧いただきありがとうございます。

いい芝居してますね!サイト管理人の甲塚誓ノ介でございます。

この記事では

甲塚的オカルト学第5回として『霊視』についてを

  • 霊視とは?
  • 霊視の仕組み
  • 霊視能力の差

以上の項目に沿ってご紹介させて頂きます。

 

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霊視とは?

霊視仕組み修行

甲塚的オカルト学第5回  霊視

唐突ですが、最近はあまり『霊能者』という言葉を聞かなくなりましたね。

甲塚が子供の頃や若い頃には『霊能者』を名乗る方をテレビでよく見かけたものでした。

最近はもっぱら横文字の『スピリチュアリスト』とか、『メッセンジャー』とか、そんな感じのオシャレな呼び方に変わってきているように見えます。

昔は『霊能者』が人に憑いた悪い霊と直接対決するような番組が主流でしたが、現在では『霊視』による占いや悩み相談が主流になっていますね。

では、その霊視とは一体何なのか?

今回は『霊視』について考えてみたいと思います。

『霊視』とは?

肉体の感覚器官を用いずに霊的存在や事象を『見る』事。

我々人間にとって『見る』というのは肉体器官である『肉眼』に映ったものを『脳』が映像化する事を言いますよね。

しかし、『霊視』は通常、肉眼では不可視の存在や事象を見る事を言います。

では、我々の目と霊能者の目は違うのでしょうか?

甲塚はズバリ、同じであると答えます。

視力の良し悪しや、何らかの特異体質的な違いはあるのかも知れませんが、視力が2.0以上でも見えないものは見えないし、両の目の色が違う神秘的な『オッドアイ』にも、不可視のものを可視化できるわけではありません。

同じ人間であるので、肉体器官にそれほどの差があるとは思えません。

しかし、『霊視』ができる人は本人しか知らないような事を言い当てたり、その人の過去や未来まで見えるという人もいますよね。

なら、『霊視』とはどういう仕組みになっているのでしょう?

霊視の仕組み

霊視仕組み修行

 

『霊視』の仕組み

ここからは甲塚の持論になります。

甲塚はズバリ、『霊視』とは肉体器官である『目』で見ているのではなく、

『心』

で見ているものだと考えています。

『霊感』という記事でも書きましたが、甲塚は『心』は人間が持つ第6以降の感覚器官だと考えています。

『第6以降』というのは、甲塚はそれ以降の第7感、第8感、第9感までは存在すると考えているのですが、『霊感』という感覚がどこに当てはまるのかはわからないから『第6感以降』という表現を使わせて頂きました。

まあ、その『心』なんですが、その『心』というのは身体の内側にあるものだいう認識が大多数を占めると思います。

しかし、甲塚は『心』は身体の外にある体外器官であると考えています。

『心』という器官は、『我思う故に我在り』という言葉があるように、我々人間の『人格』そのものであるとも言えます。

例え5感を失ったとしても、『心』があれば我々は『我』を『我』として認識できると思います。

しかし、『心』がなければ我を我と認識する事ができるか想像すると、できないように思います。

例え脳が働いているとしても、我を我と認識する事ができなければ、他者が認識してくれていないと存在していると言えるかどうかもわかりません。

故に、『心』こそ最も大切な感覚器官であり、それは即ち『生命』そのものであると甲塚は考えます。

また、人間は不可視、つまり『見えない』はずの他人の心の動きを読み取り、察するという素晴らしい能力を持っています。

甲塚はそれこそが『霊視』であると考えます!

『心』は『心』でしか見たり聞いたりできません。

我々は無意識のうちに『霊視』を行っているのです。

霊視能力の差

霊視仕組み修行

 

『霊視』能力に差はあるのか?

甲塚はこう考えます。

『霊視』は『心』を持つ生命体に等しく備わった感覚、能力である。

しかし、生まれつき足が速い人や他人より器用な人がいるように、そういう霊的な才能、センスが常人より高い人がいて、そこに我々が感じる『差』が生まれる。

何らかの修行を積めば感覚は高まり、鋭くなるのかもしれませんが、甲塚は『心』を使う事がその修行になると考えます。

『心』を使うとは、自分を取り巻く環境を日常より更に深く掘り下げ、より多くの事を感じ取るトレーニングをする事です。

例えば、仕事が終わって疲れた通勤途中、すれ違う見知らぬ人達に対して

『ああ、この人も仕事帰りかな?お疲れ様』

と思ってみたり、夜景の綺麗な場所で綺麗なばかりではなく、その灯りの一つ一つにある人間の営みに思いを馳せてみたり、星空を見上げて、あの星の輝きは一体いつの輝きなんだろうと思ってみたり、一つ深く掘り下げて思ってみる事です。

そうする事によって、他人の痛みや喜びを一つ深く感じる事ができるようになってきます。

甲塚は他者に対する『思い』が深くなればなっていくほど相手の事がよく『視える』、それが『霊視』であると結論付けます。

まとめ

人間を人間たらしめるのが『心』であるなら、人間が作っているこの『世界』の元素は『心』であると言えるかも知れません。

しかし人間は『心』を持つが故に様々な願望を持ち、それを叶えるために『心』を疲れさせ、傷を負いながら生きています。

それが祟ると大切な事を忘れがちになりますが、人間にとって一番大切なものは『心』です。

甲塚はそのことだけには絶対の確信を持っています。

『霊視』は一見オカルトの一分野に過ぎないように思いますが、人間にとってとても大切な素晴らしい能力なのかも知れませんね。

霊視の心の修行に関しては以上になります。

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!

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