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【鬼滅の刃179話考察】無一郎と玄弥の死亡について|独りではないという幸福

鬼滅の刃
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【鬼滅の刃179話考察】無一郎と玄弥の死亡について|独りではないという幸福

独りではないという幸福

179話で最も印象的だったのが無一郎が兄に言った
 
『僕は幸せになる為に生まれてきたんだ』
 
というセリフです。
 
甲塚は別記事にて鬼殺隊の共通的な思想として『幸福主義』が根ざしているのではないかと書いていますが、少なくとも無一郎はそうであったようですな。

幸福主義とは、平たく言えば人間は幸福になる為に生まれてくるものあるという思想です。
何をもって幸福とするのかという価値観は人によって様々でしょうが、一文で表現したなら
 
『満ち足りて安定し、持続する状態』
 
となるんじゃないでしょうか?
 
なにが『満ち足りた』状態であればよいのかということは本当に千差万別。
 
お金や健康は誰もが共通する事でしょうが、多くの人間は家族や恋人、友人知人や同僚との良好な人間関係の持続も満ち足りていたいと欲しているように思います。
 
人間は他者との関係性の状態の良し悪しが、精神や身体の健康に大きな影響を受ける生き物です。
 
故に、家族や恋人に生命の危機が訪れたり、友人や職場の同僚と険悪になったりすると、お金があったり健康であったりしても幸福とは感じないでしょう。
 
無一郎の場合、黒死牟を討ち取らないと自分にとって大切な存在がこの世から失われる可能性が極めて高い状況にある中、自分の命よりも、いまここで黒死牟を倒す事が自分にとっての幸福につながると感じたのだと思います。
 
兄との会話でもわかるように、人間は最愛の人間の幸福を願うものです。
 
兄は無一郎に幸福に生きて欲しかった。
 
自分にできなかった事を無一郎に託す思いもあったのかも知れませんが、純粋に平和に幸福に寿命を全うして欲しかったのでしょうね。
 
幸福というものを己独りで築き上げ、感じるという事は不可能であると感じます。
 
甲塚は、共有できる他者が存在するからこそ、幸福を幸福として認識して感じる事ができるものだと考えます。
 
また、甲塚は人生経験上、自分だけが良ければ良いという利己主義な生き方よりも、自分も含め周囲も良くしていこうという生き方を実践する人間のほうが揺るぎない幸福を手にしているように感じます。
 
幸福主義とは利他主義であり、無一郎に代表される鬼殺隊の精神性や言動はそれを如実に表現しているように感じられますな!
 
 

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