東京喰種re最終巻16巻を読みシリーズ全体の振り返りと感想|演劇
演劇としての東京喰種
東京喰種は最初から最後まで『悲劇』として描かれました。
人生を悲劇だと表現するカネキが主人公ですから、それは当然の帰結ですな。
また、東京喰種は物語の終わりを『終幕』として表現しています。
終幕とは、映画や演劇の終わりを表現するのに使われる言葉ですね。
甲塚は、東京喰種は文学作品であると同時に、演劇の要素もあるなあと感じていました。
所々に演劇的演出が入っている…
しかもそれはメジャーな劇団が大きな劇場で見せる演劇ではなく、アマチュア劇団が最前列の観客との距離が1メートルもないような小劇場で演じる小さな芝居。
そうです。
東京喰種が我々の心に響いたのは、登場人物と我々読者の距離が近かったのではないでしょうか?
距離が近いゆえに、その思いがダイレクトに伝わってくる…
石田先生には失礼にあたるかも知れませんが、甲塚にとっての東京喰種は良い意味での小劇場演劇だったと言えます。
忘れられない名台詞
甲塚にとっての東京喰種の忘れられない名台詞…
それは、あのジェイソン兄貴が遺した
『この世の不利益は全て当人の能力不足』
という、残酷かつ核心をついた漫画史上に残る歴史的名言です。
最初に目で読んだ時には、正直、戦慄を覚えました。
『こんな残酷な台詞が漫画に出てくるのか?』
『それを言っちゃあおしまいよ』
という感情を持ってしまいました。
また、思い返して心で読んだ時には別の思いが湧きました。
『正解』
『否定しようがない』
先にも書かせて頂いたように、人生の大半は辛く厳しい時間です。
突然の不運に見舞われる事もあるでしょうが、ほとんどが回避しようとすればできたかも知れない事であるかも知れません。
物事には、原因と結果がつきものです。
甲塚は、今の自分の現状は今までの自分の生き方の結果であると考えています。
ジェイソン兄貴のこの台詞は、一見救いようのない冷酷な台詞のように見えますが、裏腹に、幸福を掴みとる為のヒントとも言えると甲塚は考えます。
実に深い台詞であると思います。
まとめ
色々と書いてきましたが、東京喰種という物語は、
『人生の大半は辛く悲しい事ばかりと言える。しかし人間はそれでも幸福を求め続ける。幸福になれるかなれないかは問題ではなく、幸福を求め続けるのが人間の性なのである。よって、幸福を求める事に、迷う必要はない』
という事を言いたかったのではないかと思います。
カネキリゼとの最終決戦でのモノローグで、
『これを選び、選び続ける』
と言っていましたが、
『これ』
とは、カネキにとっての幸福へ至る道だと、甲塚は受け取っています。
優しく繊細なカネキが人から何かを奪うという行為は辛い事だと思いますが、それでも、奪わなければ幸福になれないのであれば、一人の人間として奪う事を選択する。
言葉にしてみるとその行為は悪のように感じますが、我々はそうやって生きているのです。
奪うと言っても、それは勝ち取る事であり、守る事です。
よく、人生は戦いだといわれますが、その相手が自分でろうが他者であろうが、それはまさしくその通りでしょう。
それを石田先生風に表現したのが東京喰種という物語であったのではないかと、甲塚は思います。
この記事でのご紹介は以上になります。
最後までお読み頂き、誠に有難うございました!
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