零福が吸った不幸は七つの大罪となり七福神化?|幸福は自分で至るもの
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この記事では終末のワルキューレ45話の内容から、零福が吸った不幸は七つの大罪となり七福神化したのではないだろうか?という事についての考察を、
- 零福が吸った不幸は七つの大罪となり七福神化?|福を零す者、善神・零福
- 零福が吸った不幸は七つの大罪となり七福神化?|幸福は自分で至るもの
- 零福が吸った不幸は七つの大罪となり七福神化?|不幸が7つの大罪に
以上の項目に沿ってご紹介しております。
零福が吸った不幸は七つの大罪となり七福神化?|福を零す者、善神・零福
零福が吸った不幸は七つの大罪となり七福神に変じた!
終末のワルキューレ第45話では、人間の幸福の為に身を捧げる善神だった零福が悪神になってしまった経緯が描かれましたが…
今回はそれについて妄想たっぷりに色々と書かせて頂きます!
福を零す者、善神・零福
まだ神と人間が近しかった太古…
零福は地上に降臨し、全ての生命を幸福にしようとしていた。
零福は一羽の雛鳥とその家族にすら幸福を与えたいというほど、悪意など微塵もない人間からすれば『善神』だった。
零福は人間の世界を見て周るが、そこには仏教における八苦が満ち満ち、人間は不幸に喘いでいた。
八苦とは即ち、『生老病死』。
生まれ生きる上での苦しみ、老いていく事の苦しみ、怪我をしたり病にかかる苦しみ、そして死の苦しみ。
更に怨憎会苦(おんぞうえく)
これは自分にとって嫌な物事と対峙せねばならない苦しみ。
五蘊盛苦(五蘊盛苦)
これは老いなどにより自分の身体や精神が思い通りにならなくなる苦しみ。
求不得苦(ぐふとくく)
欲しい物が手に入らない、また手に入っても次に欲しい物が次々に出てきてしまうという苦しみ。
愛別離苦(あいべつりく)
愛する者達といつかは別れねばならない。
愛する両親や兄弟、妻や夫、子供達、また友人達と永遠に一緒いられないという苦しみ。
零福は八苦に喘ぐ人間達を見て涙を流し、彼らを幸福にするには、彼らか八苦の如き不幸の源を絶ってやればいいのだと思いいたり、零福は各地を周り、神たる力を使って人間の身体から不幸をその身に吸い取り続けた。
しかし、あまりに多くの不幸を吸い込んだもので体調が悪くなり、零福はボロボロになって最初に降臨した土地に戻った。
身体はボロボロになっていたが、零福は満たされていた。
そして、自分の行いで幸福になっているはずの人間達の様子を見に再び各地を周ろうとまず、最初の村に向かうが…
人間の本質は、容易に幸福を見失うものであり、人間は自分の行いによって堕落してしまった事になる。
人間を想う神としては、これほどショックな事は無かったでしょうね。
しかし、間違えたのは自分ではない。
自分の想いと行いを足蹴にする人間が悪いのだと、この時、零福はそんな事を想っていたのかもしれない…