苦手だったコーヒーが突然飲めるように!|ほろ苦い経験。15年間コーヒー断ちに至ったわけ~2nd ROUND~
高校を卒業し、晴れて大学生になった西園寺は大学生活も折り返し地点。
3回生になった5月の頃。
同級生と就活の話をきっかけにそれは始まるのでした。
そう、就活の一歩目として通る道
「自己分析」
です。
企業のことを知る前に己を知る、です。
そんななか、西園寺はふと考えました。
「社会人になってどんな休日を過ごしたいか」
西園寺はイメージしました。
(社会人になってどんな休日を過ごしたいか)
(社会人になってどんな休日を過ごしたいか)
(社会人になってどんな休日を過ごしたいか)
うーむ。。。
すると、西園寺の頭の中にふと懐かしいあの声が聞こえてきたのです。
その声の主は、そう
「大人の階段上りたい病」さんです。
大人の階段上りたい病:やぁ、西園寺。
(社会人になってどんな休日を過ごしたいか)
だって?
決まってるだろ?
朝起きたら自分で淹れたコーヒーを飲んで優雅に過ごすんだよ
西園寺:「かっっっこいいいいいい!!!!!!」
そうとなれば行動は早いです。
コーヒーメーカーとコーヒー豆をネットで買って翌日着。
大人の階段上りたい病の西園寺は形から入るのがとても大好き。
仕事の「し」の字も知らないくせに、仕事を終えた後の休日の過ごし方を取り入れようとするなんて世間知らずもいいところです。
これから降りかかる災いも知らずにその日は意気揚々と眠りにつくのでした
(早くコーヒーメーカー来ないかなぁ♪)
そして、翌日の昼下がり。
早速届きました、コーヒーメーカー&コーヒー豆
るんるん気分でコーヒーメーカーを箱から取り出し
るんるん気分でコーヒーフィルターをセット!
るんるん気分でコーヒー豆の袋を開封し、香りが鼻先に届いたその瞬間
「その日人類は思い出した」
まさに進撃の巨人の名フレーズがぴったりの衝撃です。
「あ、俺コーヒー飲めないんだった」
コーヒーのあの香りを嗅ぐまでなぜ思い出せなかったのか
これは完全に病に侵されている証です。
何年も封印していたあの記憶。
コーヒーを飲んですらいないのに、香りを嗅いだだけで吐き気を催しました。
今思えば、大学に入ってからもそれまで一切コーヒーを飲んでいなかったのにちょっと自己分析をしただけでコーヒーを飲むに至る考えはアホとしか言い表せません。
そんな脳内アホな人間ですから、それでも立ち向かおうとしたのです。
エレンが巨人に立ち向かう様に(エレンに失礼
「自分で淹れたコーヒーなら飲めるんじゃね?(大アホ)」
自分で淹れたコーヒーであれば、市販のものより余計コーヒー感があって気分悪くなることは少し考えればわかるのに
「自分で淹れたコーヒーの方が質の良いコーヒーだから飲めるんじゃね?」
という絶対に成り立たない方程式を脳内で作り出し立ち向かうのです。
ズっ、ゴクリ。(2滴分くらいしか口に含んでいない
ウェェェエエエ!
結果は想像通り惨敗です。
コーヒーの壁はあまりにも高く、分厚いものでした。
なんでもっと冷静に行動出来なかったのか
自己分析→自己嫌悪に陥った西園寺にさらなる悲劇が訪れるのです。
部屋がコーヒー臭にまみれてめっちゃ気分悪い
なんという強敵。
大学生に入り、1Kのマンションに一人暮らしをしていた西園寺は驚くのです。
キッチンと部屋には扉があるにも関わらず、キッチンに置いてある封を閉めたコーヒー豆の袋からコーヒー臭が漂ってくるではありませんか。
もはや地獄でしかない
さらにアホなことに、コーヒー豆を3か月(90杯)分買ったのです。
どうにかしてコーヒー豆を切らさなければ
これも今になって思うのですが、もったいないけど「捨てる」という選択肢が頭に浮かばず「消費する」という考えになったのは、やはり「大人の階段上りたい病」に侵されていたからでしょう。
翌日、タンブラーにコーヒーを入れて講義中に飲んだのです。
その結果、吐き気を催しそれ以降の講義もアウト。
内容が全く頭に入ってきません。
コーヒーによる体調不良と、自分のアホさ加減にショックを受けていました。
そして、体調が優れないなかトボトボと帰宅しながら決意するのです。
誰かに譲ろう。
翌日講義が一緒だった友達に声を掛け、事情を説明し誰か欲しい人はいないか聞きました。
すると一発で貰い手が決まり、すぐに手放したい西園寺はその日のうちに友達に譲るのでした。
コーヒーメーカー生活はたったの3日で終了。
そして、休日の朝起きたら自分で淹れたコーヒーを飲んで優雅に過ごす夢もバラバラに散らばるのでした。