始祖ユミルは豚を逃した?|選択の自由
選択の自由
始祖ユミルは戦火に焼け出され奴隷にされて以降、自分の意思とは無関係にただ流されるだけの人生を送ったと思われますが、やはり『自由』に憧れていたはずです。
自分の意思で選び、決定し、行う。
例え今、どのような状況にあろうとも、それを決定しているのは自分の心だと思います。
例え不本意な状況にあったとしても、それを変えるべく動くか、または甘んじて過ごすのかも自分次第…
動いた結果、状況はさらに悪くなる事もあるでしょうが、それも自分が決めた事です。
始祖ユミルは、柵に囲まれ食料となる日を待つばかりの豚達を見て、自分の境遇と重ねて見たのかも知れない。
豚達に自分達の運命は生まれた時から決まっているとか、そんな意識はないかも知れませんが、もし彼らに自由になるチャンスを与えたなら、彼らは自分達の運命を変えるために柵の外に出るのだろうか?
始祖ユミルはそんな興味を抱き、なかば無意識に柵を開けてしまったのかも知れない…
『逃してあげよう』ではなく、『どうするのだろう?』だったんじゃないでしょうか?
そして、彼らは自分にはとても出来ない事…
柵の外の世界に飛び出していった…
始祖ユミルは自由を得て去っている彼らの後ろ姿をただ呆然と見送ったのかも?
しかし、生き物は本能的に自由を求めるものだという事を心に刻んだのではないか?