剛京来襲は騰の策の一環か!?|南陽全員を心の底から降伏させたい
この考えは勿論、騰大将軍の考えでもあるでしょうが、出陣前に騰を含め、嬴政や昌平君、昌文君とも韓を秦に滅ぼされた国のモデルケースにして欲しいと言うような話し合いがあったのではないでしょうか?
戦国七雄の状態になってから初めて滅ぶ国がどのような末路をたどるかというのは今後のその他の国がもし降伏を考えた時に、非常に大事になって来ると思うのです。
その時に、韓のようにされるのなら徹底抗戦だ!か韓も今では秦国の一部となり案外平和に暮らしてるし…とでは凄く降伏を決断する時に差が出ますよね。
だからこそ、それと同じ理屈で考えた時に、韓の王都新鄭に与える印象を最初に落とされた南陽の扱いで見せるのは非常に大切なことで、それを騰は南陽が新鄭攻略のカギだと言ったのではないでしょうか?
力づくで降伏させらるのではなく、心から降伏し、今後は秦に従わされるのではなく従いたいと…もちろん最初は戦なので力づくではありますが、秦の国民になるのもそう悪くないじゃないか?くらい思ってもらえれば今後の覇業も新鄭攻略にも好都合で勿論被害もお互い少なくて済むという本当に大切な南陽平定業なのだと騰は感じているのでしょう。