鬼滅の刃の竈門炭治郎の名言の感想に考察|責任から逃げるな!
生命を慈しむ
これは、遊郭吉原編にて『上弦の陸』である堕姫との戦いの際の炭治郎のモノローグ。
炭治郎は、先に戦った累は『人の心』を取り戻した慈しむべき存在だと判断していましたが、この堕姫に対しては別でした。
この時点で炭治郎と堕姫には圧倒的な実力差があり、いつ生命を奪われてもおかしくない状況…
そんな中、炭治郎は堕姫の振る舞いを『絶対悪』と判断し、それを絶対に許さないと断言しています。
鬼が人の心を持っていないのは当たり前だと、柱達なら言うでしょうが、鬼を『人だった者』であり、『心がある者』と見ている炭治郎にとって堕姫は、『人の形をしているが人の心を持たない者』と認識しているのでしょう。
炭治郎にとっての『人の心』とは、生命を慈しみ、寄り添う心であると、甲塚には感じられます。
現実世界にも鬼滅の鬼のように他者を慈しみ、寄り添う事を否定するかのような生き方をしていたり、他者を同じ人間てして扱えないような人間は確実に存在しています。
炭治郎の怒りは、至極まっとうであり、人の心を持つなら、誰もが共感する人としての真理であると甲塚は思います!
責任から逃げるな!
これは『上弦の肆』である半天狗に炭治郎が叫んだセリフ。
身体を分裂させ、本体を現さず、ようやく本体を見つけたと思ったら怯えて逃げ回る半天狗に対する純粋な苛立ちの感情が先に立っていると思われますが、その根底にあるのがこのセリフそのもの。
好きな事をやるだけやっておいて、部が悪くなるとそれから逃避する…
人間は自由意思を持つ存在です。
極端に言ってしまうと、どんな振る舞いをしても、それは個人の自由でしょう。
しかし、法律やモラルを度外視しても、己の振る舞いには必ず結果が生じ、その結果の責任はその個人が背負うべきものです。
ましてや半天狗は今まで多くの悪行を重ねてきました。
ここでその責任をとらせないと、半天狗によって奪われた多くの生命が浮かばれない!
炭治郎のセリフは、甲塚の胸に突き刺さりました。
甲塚は半天狗のような悪行は犯していないつもりですが、自分の今までの振る舞いを思い返すと、自分は自分が犯した過ち…図らずも人を傷つけるような言動をしてしまったり、犯したミスをうやむやにしたりと…大袈裟かも知れませんが、そんな責任から逃げてしまったような覚えがありますね…
責任を取る、という事はマイナスなことばかりでなく、それにより人間として成長することも出来ます!
責任をとる事から逃げ続けていたら、最後には人生自体が行き詰まってしまうもの…
炭治郎のセリフ、胸に刻んでおこうと思います!
まとめ
甲塚、竈門炭治郎というキャラクターに、現在惚れ込んでいます(笑)
まあ、名言の多いキャラクターですな!
主人公なんだから当たり前かも知れませんが…
炭治郎との出会いに感謝し、これからも鬼滅関連の記事を書いていこうと思いますので、また応援頂けますと幸いです(笑)
この記事でのご紹介は以上になります。
最後までお読み頂き、誠に有難うございました!
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