鬼滅の刃の竈門炭治郎の名言の感想に考察|柱合裁判にて
入隊後、那多蜘蛛山にて
炭治郎は鬼殺隊入隊後に我妻善逸、嘴平伊之助という仲間に巡り合い、仇である鬼舞辻無惨を討つ事と妹禰豆子を人間に戻す事を目的に、成長を続けます。
そして、那多蜘蛛山において十二鬼月・累との戦闘でまた新たな力を手にし、一時は累を追い詰めながらも、その生命力の前に再び窮地に立たされてしまう。
しかし、それを救ったのは炭治郎を鬼殺隊に導いた冨岡だったわけですが…
倒した『鬼』を足蹴にする冨岡…
冨岡からすれば人に害する同情の余地無き憎き鬼に過ぎない存在…
しかし炭治郎にとって、今冨岡が足蹴にしているものは『鬼』ではあるが、『累』という人格を有していたものの骸である…
甲塚は炭治郎のこの考え方に激しく同意致します!
累は鬼となり数多の人間の生命を奪ってきた事は事実ですが、彼はセリフ通りに自らの行いを悔いていました。
彼は忘れていた人間の心を取り戻したのです。
それを踏みつけにする事は、人間の心を踏みつけにしているのと同じである。
炭治郎は『優し過ぎる』と揶揄されたりしますが、生命と人の心を慈しむ事こそ人の道である!
甲塚はこのセリフからそれを再確認しましたね!
柱合裁判にて
炭治郎と禰豆子は、鬼殺隊隊員である炭治郎が鬼である禰豆子を連れているという事により、鬼殺隊のリーダー産屋敷燿哉と鬼殺隊幹部とも言える最高戦力『柱』による柱合裁判にかけられてしまいます。
柱達は禰豆子を鬼として処分しようとしますが、炭治郎が黙っているわけがありません!
柱達から見れば、鬼に善良も悪もなく、ただただ絶対悪、人間の敵としかの認識しかないはずです。
しかし、鬼に対する考え方が異端とも言える炭治郎は、明らかに格上であり、己の生命など簡単に奪い去れる存在に対して真っ向から己の考えをぶつけました。
これは、妹である禰豆子を守るという事が大きいかとは思いますが、炭治郎は明らかに怒っていますね。
その怒りはおそらく、物事の本質を見ずに、ただその場の事実のみを見て物事を決めつけてしまう了見に対してのものであったと甲塚には感じますられます。
これは、悪い大人の典型とも言えるもので、アラフォーの甲塚、このセリフは心に刺さりました汗