【鬼滅の刃178話考察】上弦の壱黒死牟の人生について|それが身近である不幸
人間の人生には必ずと言って良いほど、勝てないが為に足止めさせられてしまう存在と言う相手が現れます。
本当にごく一部の縁壱のような存在にはそれが存在しないでしょうが、そうでない大半の人が黒死牟のような葛藤を背負いながらそれでもまっとうに生きている人がほとんどでしょう。
しかしそれが黒死牟のように物凄く身近な、しかも双子の弟がその壁であった場合にどのようにその存在を自分自身で昇華できるかがその者の人生のその後を左右するのでしょうが、だいたいは、自分が頑張れるところまでは競い合い、そしてどうしても勝てぬと思えば別の道を選びその存在を越えていこうと考えれるようになれば救われるのでしょうが、同じ道でその道の天才と競い合ってもそれをストレスと感じない人間なら良いのでしょうが、正直辛いだけでしょう。
黒死牟が不幸であったのは、その存在の縁壱が剣だけではなく心の部分やそれ以外の全ての面で黒死牟を凌駕していた真の天才であった事だと思います。
しかし甲塚は、この黒死牟がゆがんでしまった1番の原因は黒死牟の父親にあると感じています。
まず双子の兄弟で、縁壱は黒死牟を兄弟として愛していたようですが、黒死牟には縁壱を兄弟と認めながらも本当の意味で愛することが出来ていなかった。
それは母親は教えていたように見えますが早くに他界、しかし父は子に家族の愛し方を身をもって教えていなかったように見えるのです。
どうして2人で協力して生きていく方法を教えてあげなかったのでしょうか?
という思いを感じましたね。
その結果が、上弦の壱と言う化け物を生んでしまったのでしょうね。
今回の上弦の壱、黒死牟の生い立ちから鬼になってしまうまでの心の葛藤は甲塚だけでなくレベルの状況も違えど現在の人間でも誰にでも起こりえる事なのではないかな?と感じてしまいました。
177話、178話は本当に深く心に突き刺さりましたね。
この記事でのご紹介は以上になります。
最後まで記事をご覧いただきましてありがとうございました。
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