【鬼滅の刃177話考察】縁壱の天才と正体について|ヒノカミ
ヒノカミ
人間が至る境地として、よく自然と一体化するという表現を目にしてきましたが、縁壱や炭治郎の父親を見ると本当にそういう人物であるように甲塚には感じられます。
先程から植物について書いていますが、植物と動物が生きるのに必要な共通する行動がありますよね?
『呼吸』ですな。
鬼滅の刃はこの『呼吸』が重要な要素になっている作品であり、もしかすると全集中の呼吸を極め抜くと自然と一体化し、自然が見ている物を共有できるのでは?
しかし、それは眼球というもので見るのではなく、脳や心に直接投影されるのかも知れません。
盲目である悲鳴嶼にも見えたわけですから、甲塚にはそういうものであるように感じられますな。
縁壱は生まれながらにそういう才能を持っていたのかも知れませんが、甲塚は正体不明の『ヒノカミ』が絡んでいると考えています。
ヒノカミ神楽というものが伝わる以上、ヒノカミはおそらく神格なのでしょうが、縁壱がこのヒノカミの祝福を受けて生まれてきた可能性は考えてもよいかと…
でないと、子供のころの神童ぶりは説明がつかないようにおもえます。
しかし、縁壱は一体何を望んでいたのか?
甲塚は、縁壱は兄がいずれ鬼化する事を予見していたのではないかと感じます。
それも幼少の頃から…
縁壱の行動には、兄が道を踏みはずないように注意しているような節が見られるようにも…
しかし、兄の前で自分の力を見せつけた事は失敗だったようにおもえますな。
何かを意図していたのかも知れませんが、逆に作用してしまったのかも知れません。
黒死牟の回想はまだ続くようですが、さてさてどんな過去が描かれるか楽しみですな!
この記事でのご紹介は以上になります。
最後までお読みいただき、誠に有難うございました!
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