呪術廻戦237話ネタバレ!|贅沢者
贅沢者
鹿紫雲は宿儺の手に握られた神武解(かむとけ)を確認し、氷塊にどんな意味があったか悟ったようですが、何やら一層と嬉々とした表情をしています。
もしかしたら、五条との闘いで使わなかった物を自分には使うのかというような自分が高く評価されているというような事を思ったのかも知れないですが、それを使う意味としては真逆の意味も考えられますよね…
それはこれからの戦闘で答えが出るでしょうが、宿儺はいきなり神武解を鹿紫雲に使ってきます!
宿儺が神武解を振ると鹿紫雲が雷撃に包まれる!
どうやら神武解には雷撃を発生させる効果があるようです。
しかし、雷神・鹿紫雲一は自身の呪力特性上、電撃には強い耐性があり、この攻撃はほぼ無効だったようです。
個人的に、宿儺と鹿紫雲が鹿紫雲の特性を知っていても知らなくても、神武解が出てきたという事は鹿紫雲には通用しないものであるわけですから、宿儺はやはり鹿紫雲を倒した後で他の術師達にそれを使う事になるのか、あるいは神武解には他にもまだ様々な効果があるかのどちらかじゃないかと思いますね…
しかし、今の展開からして後者の可能性が高いのかな?
また、鹿紫雲は宿儺に対して、お前は最強に成ったのか、それとも生まれつき最強だったのかと尋ねます…
なんだか、鹿紫雲にとってそれはずっと尋ねてみたい純粋な疑問だったんじゃないかと感じられますね…
宿儺はその問いに対して『どうかな、少なくとも忌み子ではあっただろうな』と返していますが、それは正直なところ本当なんだろうと思います…
本物の天才は生まれながらに常人を遥かに超えた才能を持っていますが、本人がその才能に価値を見出し、それを高めたいと思ったなら、それに費やす努力を努力と感じないような傾向にあるように思えます…
おそらく第三者から見れば生まれながらに天才だった者が更に努力して最強に成ったという事なんだろうと思いますが、その努力も全てが無駄なく身につくのだろうとも思います…
羨ましいですが、そういう天才にもやはりデメリットはあるようですね…
鹿紫雲は宿儺に対し、
弱さを知らずにどうやって他人と関わる?
どう他者を慈しむ?
と更に質問しますが、宿儺は自分には常人のように他者と関わる事が出来なかったと答える…
自分以外の人間は脆い土塊でしかなく、それ以上には思えなかったようです…
宿儺は逆に鹿紫雲に対して質問します。
強さとは孤独なのか?
際限なく力を求め彷徨い続ける事が強者に課せられた罰なのか?
天才が抱えるそんな疑問に常人か答えられるわけはないとわかっていて、宿儺は質問したのだと思いますが、宿儺は自分に対して『贅沢者め』といい、悪戯っぽく神武解で頭をコツンとします。
おそらく、自分はその疑問の答えを探す為に生きているのだと自覚し、また、天才でありながら常人が持っている慈愛の心というものを自分が求めているというような事も、宿儺は全てわかっているのではないかと思います。
宿儺は五条も自分と同じだったのだろうと言っていますが、贅沢者というのは既に人智を超えた力を持っているのに、更に常人が持つ慈愛をも手に入れようとする事が贅沢であり、その強欲さを贅沢者と現しているんじゃないかと思いますね…
宿儺は挨拶と問答は終わりだという感じで鹿紫雲に『来い』と戦闘開始を告げます!