【ベルセルク第364話以降考察】ゲドフリンが言うガッツの今際の際の見定め|拭えず、消せない存在
拭えず、消せない存在
ゲドフリンは
怒りをその身に吹き込む息吹とするか
己を焼き尽くす業火とするか
と口にしていますが、怒りを息吹とすると言うのは、
狂戦士の甲冑を脱ぐか
という意味だと思えます。
また、
怒りを己を焼き尽くす業火とするか
というのは、髑髏の騎士と同じ運命を辿るか
と言う意味だと思います。
普通に考えたなら、一応の目的地には辿りつき、また目的も果たしたとは言えますから、甲冑は脱ぐべきでしょう。
しかし、ガッツは未だグリフィスという存在を自分の心から拭えず、消せないでいます。
すでにグリフィスは自らの意思で『捧げた』事はわかっており、また、今は神のような存在になってしまったグリフィスは余りに遠い…
グリフィスへの復讐に拘るなら、それはグリフィスの為に命を捧げるようなものでもある
しかし、自分の命は愛する者の為に使いたいとも考えていると思います。
グリフィスに拘るなら、甲冑を脱ぐわけにはいかない…
363話、ガッツはかなり迷っているようですが、それゆえに月下の少年はガッツの前に姿を現したのかも?