ベルセルクの狂戦士の甲冑についての考察|人間の本性は魔か?
人間の本性は魔か?
ベルセルクでは、人間の本性は『魔』そのものであるかのように思わせられる描写が度々登場しますし、そう言及もされています。
一人の人間の心には聖魔、光と闇が同居しているものですが、私も人間の本性、つまり見えない部分が『魔』『闇』であり、それを『聖』『光』で隠している、というイメージを持っています。
誰しも、自分の心の全てを他人に見せているわけでもないし、自分で自覚できていない部分もかなり大きいはずです。
『光の鷹グリフィス』の本性は『闇の翼フェムト』でありますが、それを『光の鷹』という聖性で隠しています。
人間は皆、できれば万人が平等に幸福な世界が実現して欲しいと望みながらも、それが非常に難しい、ほぼ実現不可能であるという事を確信していると思います。
本音と建前、本音が『魔』であり、建前が『聖』とも言え流のではないでしょうか?
ゆえに、『現実』と呼べるのが『魔』や『闇』であり、『聖』や『光』は方便にすぎない。
それが人間の本性は『魔』だという意味なのではないかと、私は考えます。
まとめ
狂暴戦士の甲冑により己の本性を確信したガッツですが、それに自我を委ねる事に激しく抵抗しています。
それはガッツの光とも言えるキャスカ、それに仲間達の存在が大きく影響しています。
ガッツが完全に孤独であれば、本性に身を委ねる事に対して前向きであったかも知れません。
しかし、ガッツには光を手放す事はできません。
現在、ガッツはシールケの助けもあり、狂戦士の甲冑の力を引き出しながらも自我を保つ術を身につけ始めています。
しかし、黒い獣は常にガッツの自我を取り込み、とってかわる事を狙っています。
ガッツは己の光の部分を守り通す事ができるのか?
ゆっくりと物語の行く末を見つめていきたいと思います。
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!
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