心は生命の源|自我と意識


心は生命の源|一個の意識体

心生命

心は生命の源についてこの記事をご覧いただきありがとうございます。

いい芝居してますね!サイト管理人の甲塚誓ノ介でございます。

この記事では心の在り方について考えるとともに心とは何なのかを

  • 心は生命の源|『存在』そのもの
  • 心は生命の源|役割
  • 心は生命の源|外臓器官

以上の項目に沿ってご紹介させて頂きます。

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心は生命の源|『存在』そのもの

心生命

甲塚的オカルト学『心』について

人間は皆、例外なく『心』を持っています。

『心』とは、物理的に見れば、不可視であり、不可視であるがゆえに『概念』であるとしか言えません。

その存在を我々は認識してはいますが、物理的に実証できないのですから、それは仕方ない事です。

しかし、それは物理的見地から見た場合の話であり、我々は『心』無くして生きていく事はできません。

『心』こそ、我々の『生命』の源であると甲塚は考えます。

今回はその『心』について考えてみたいと思います。

『心』とは『存在』そのもの

我々は人間は、他者の存在無くして自分を自分であると認識する事は難しいかと思います。

人間はこの世に生まれて、自我、意識を持つに至るまで、独力で生きていく事は不可能でしょう。

一人の人間が自我に目覚める、意識するという事、そこには必ず他者が存在し、その協力があって初めてそれが成されるのです。

『自我』『意識』とは、

  • 『自分は自分である』
  • 『自分はこうしたい、こうありたい』
  • 『自分はこれが好き、嫌い』

という欲求に根ざした一個の『人格』を指すものであると甲塚は考えます。

故に、『人格』は、『欲求の型』であると言えるかも知れません。

そういう『自我』『意識』や、『人格』の元になるものが『心』となります。

『我想う故に我在り』

という有名な言葉がありますが、これは真理を突いていて、自分が自分である認識無くして一個の人格の存在はありません。

また、一個の人格の存在は他者の存在無くしてもありえません。

一個の人格は、自分自身と他者の『心』によって成り立ち、存在を認識できるものなのです。

『神』とか、それと同格の存在の『自我』『意識』の事を『神格』と呼んだりしますが、『神』という存在も、それを信仰、または認識する他者の存在があって初めて『神』と認識されます。

その点においては、神だろうが人間だろうが、動物だろうが虫だろうが、森羅万象、すべての例外なく全く同じだと言えると甲塚は考えています。

『自我』、『意識』、『人格』さらには『認識』など、呼び方は様々ありますが、一個の意識体、それを『心』と呼ぶのだと思います。

心は生命の源|役割

心生命

『心』は役割

『心』は『一個の意識体』の元になるものです。

人間は『思考』する前に『感じている』はずです。

何かを感じた後にその刺激を受けて『思考』します。

『心』と『思考』は混同されがちですが、甲塚は全く別物であると考えます。

何故なら、『思考』は脳で行いますが、『感じること』は『心』で行うからです。

別記事でも書いていますが、心は人間の不可視の』の器官であり、脳と心臓の役割が違うように、脳と心の役割も別個のものだからです。

では、『心』の役割とは?

それは、森羅万象全てと自分自身を繋げる事だと考えます。

我々は、他者のみならず、自分が生きる世界に存在するすべての物事の影響を受け、影響を与えて生きています。
可視、不可視、意識、無意識にかかわらず、天候から細菌に至るまで、実に多くの数え切れないくらい多くの物事が我々一人一人と繋がっているのです。

心は生命の源|外臓器官

心生命

『心』は外臓器官

そんな『心』は、よく脳内にあるとか心臓にあるとか言われますよね。

しかし、甲塚は『心』は身体の外にある外臓器官であると考えています。

その説明にはまず、甲塚が考える『生命』についてお話しなければなりません。

『生命』は、この世のすべての瞬間、すべての空間に充ち満ちているものだと考えます。

未来永劫変わらず存在し続けるものはこの世にありえませんが、唯一、『生命』だけは例外であると言えます。

甲塚の考える『生命』は、未来に向かって一方向に流れ続ける大河のようなものだと考えて下さい。

これは『時間』の概念と同義だとも言えるので、『生命=時間』だとも甲塚は考えます。
その『生命』にも『心』があります。

我々や、それを取り巻く森羅万象全てが、その『生命』の流れの中から生まれた現象や生き物であり、植物であり、微生物なのだというイメージです。

我々は『生命=時間』を共有している。

また、

その『心』も共有している、と甲塚は考えています。

心理学者のユングの『集団的無意識』、仏教の『九識論』を見ても、それが正解なんじゃないかと思います。

現代風にわかりやすく言えば、『心』はインターネットのようなもので、我々はいかなる瞬間にもそれと繋がり、アクセスしている。

しかし、脳にそんな働きがあるとは思えません。

情報は『心』で取得し、『脳』で解析する。

イメージはそんな感じです。

厳密に言えば、身体の中にも外にもあると言えるのかも知れませんが、甲塚は『外』にあるという表現を使っています。

まとめ

我々は『生命=時間』『心』を共有している。

そう考えると次の疑問は

『何故、個々に別れる必要があるのか?』

になります。

それについては、また次回に書かせて頂きたいと思います。

以上、あくまで甲塚の世界観についての記事なので、そんな考えの奴もいるのか、くらいの認識でお許し下さいませ(笑)

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!

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