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【鬼滅の刃181話考察】無惨の発言、鬼や鬼舞辻は本当に悪?|生きる災害は存在悪か?

鬼滅の刃
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【鬼滅の刃181話考察】無惨の発言、鬼や鬼舞辻は本当に悪?|生きる天災

 

無惨の発言に対する感想と考察

甲塚がこの発言を受け、改めて無惨という人間を分析してみたところ…
 
彼は自らを大災、天変地異に例えて表現しています。
 
それは、彼が人間とは圧倒的に力量差があるという自負からくるもので、その自負は数百年前に継国縁壱という最大の脅威を乗り越えた事に起因しているように感じられます。
 
また、自分を天変地異という人の力が及ばぬ自然現象と同じであると考えるという事は…
 
精神的には『神格』であると考えられます。
 
圧倒的な高みから人間という存在を俯瞰して見ていないと、こういう考えには及ばないはずです。
 
鬼からすれば人間は『食料』に過ぎず、食料が絶滅せぬ程度というか、一応は平和に繁栄できるよう配慮して鬼の繁殖もできる限り少なく調整している。
 
お前たちも牛や豚に対して似たような事を行なっているのではないのか?
 
無惨はそんな事も考えているかも知れない。
 
炭治郎は無惨の言葉を聞き終えて、無惨は存在してはいけない生き物だと口にしていますが、それは無惨が死んだ人間は生き返る事はないと理解しているにも関わらず、超越者めいた考えを口にしていたからではないでしょうか?
 
鬼は、人間が変化したもの…
 
それを踏まえ、生命の大切さを理解した上で全てを行なってきたという点に、炭治郎はこの局面に至るまでに、おそらく持っていただろう無惨に対する慈悲の心がゼロになってしまったように甲塚には感じられます。
 
炭治郎のみならず、我々人間が殺人者に対して嫌悪、憎悪、恐れの感情を抱くのは
 
『同じ生命を持ち、その生命の意味と意味を知る者が人間である』
 
という共通する本能的な道徳心や価値観があるからだと甲塚には感じられます。
 
炭治郎は無惨とのやり取りで、無惨とは何を語っても全て平行線であり、最早、
 
『生きる天災』
 
という人間でも鬼でもない別種の生き物としての認識が変化したのかも知れない。
 

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