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【鬼滅の刃175話考察】黒死牟と縁壱の思想の違い|鬼になる者ならぬ者

鬼滅の刃
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【鬼滅の刃175話考察】黒死牟と縁壱の思想の違い|鬼になる者ならぬ者

鬼になる者ならぬ者

厳勝が黒死牟となった理由として、痣者としての短命に対する恐怖心と、縁壱を凌ぐ者となりたいという渇望からだったろうと甲塚は考えます。
 
厳勝が黒死牟となった根底には音縁壱に対する執着があると感じるのです。
 
その証拠に、死を意識する黒死牟が回想するのは縁壱との事ばかり。
 
ほかの誰でもなく、縁壱だという事実からは執着を感じずにいられないでしょう。
 
しかし、鬼となったからといって縁壱を超える事は出来ず、あの赤い月の夜、黒死牟は年老いた弟に永劫に拭いきれない決定的な敗北を味合わされてしまいました。
 
また、現在においても黒死牟は縁壱の予言通りに自分達の才覚を凌ぐ者達が厳然と目の前に現れたのです。
 
鬼になる者ならぬ者…
 
どちらが幸福であるか、どちらが正しいとは、誰も決めつける事はできないかもしれませんが、一つの物事や存在に執着し続ける事は幸福に結びつくものではないと黒死牟の今があらわしているような気がしますな。
 
 

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