秋山木工生粋の家具職人を育てる企業|女性も丸坊主になる気合の入りかた


秋山木工生粋の家具職人を育てる企業|一流の職人を目指すプロ集団

秋山木工職人

秋山木工生粋の家具職人を育てる企業についてこの記事をご覧いただきありがとうございます。

いい芝居してますね!サイト管理人の甲塚誓ノ介でございます。

この記事では現代では珍しくなった生粋の職人を育てている企業として秋山木工について

  • 秋山木工職人|生半可な覚悟じゃ一流の職人は目指せない
  • 秋山木工職人|風邪は3回ひいたらクビ
  • 秋山木工職人|5年修行して初めて職人として仕事を任される

以上の項目に沿ってご紹介させて頂きます。

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秋山木工職人|生半可な覚悟じゃ一流の職人は目指せない

秋山木工職人

働き方改革の波に逆らい、真逆を行く企業があります。

甲塚もいろいろな企業の記事を読んできましたが、今回は結構な衝撃を受けましたのでご紹介させていただきたく思います。

記事を読み終え甲塚がまず思ったのは

『すごいな~なんちゅう気合の入った会社や・・・』

でした。

その企業は横浜市都筑区にある秋山木工です。

創業が1971年で社員数34人ながら年商13億円を稼ぎ出す少数精鋭の職人軍団というイメージを受けました。

一流の職人集団として家具業界では名高く、特注家具の依頼主には迎賓館や宮内庁、一流企業の名前も並びます。


ある有名企業の社長室の大テーブルには伊勢神宮のご神木である

「御神杉」

という樹齢400~500年ほどの非常に珍しい素材を使用、木目が一番美しく見えるように何種類ものかんなを使って磨きをかけます。

「立ち上がり」と呼ばれる縁の部分は素材を活かし、塗装も「拭きうるし」によって独特の光沢を醸し出すよう仕上げを施します。


そんな秋山木工を率いるのが、創業者の秋山利輝さん。

「木と会話できなければ職人じゃない」

と、家具職人としての心構えを語られております。

秋山木工がユニークな点は、昔ながらの

「丁稚制度」

を敷いていることです。

丁稚制度とは江戸時代から昭和初期にかけて盛んだった徒弟制度の一つで、職人や商家などの親方の家に住み込み、一定期間奉公すること。

経営の神様こと松下幸之助さん、ホンダ創業者の本田宗一郎さんも丁稚時代を経験されています。

秋山木工でも家具職人の見習いを

「丁稚」

と呼び、団体生活を通して生活習慣、そして木工技術を学ばせているようです。

自身の経験から、

「できる職人じゃなくて、できた職人を育てたいんです」

と語る秋山社長は、技術だけではなく人間性までも厳しく指導されているようで、職人たちは「心得30箇条」を暗唱しなければならないのです。

しかし、一流の職人になるための修行は生半可なものではありません。

丁稚になる際には、男性・女性問わず丸坊主になるとのこと。

現代社会では少し考えられないことですが、女性も納得のうえで丸坊主になっているのでしょうね。

4年目の女性社員んの方のコメントでも、

「ものをつくることより大事なことを教えてもらった。家族を大事にするとか、思いやりを持つとか、普段やっているつもりでできていなかったことが見えてきた」

と話されておりました。

秋山木工職人|風邪は3回ひいたらクビ

秋山木工職人

丁稚たちは共同生活を送るります。

それだけではありません。

朝5時になると丁稚は体操を始め、次に2kmのマラソンをこなしています。

それが終わってようやく朝食なのです。

もちろんメニューを決め自炊するのも丁稚たち自身。

食べ終われば、近隣の掃除が待っています。

掃き掃除だけではなく、道端の草むしりまで行う徹底ぶりです。

 他にも

  • 「恋愛禁止」
  • 「メール禁止」
  • 「親からの仕送り、小遣い禁止」
  • 「“ふり“をしない」
  • 「周りを暗くしない」

などのルールが存在します。

生半可な覚悟じゃ就職をしようとはまず思わないですよね。

今の若者には禁止にされたら生きていけない事がかなり含まれているように感じました。

それだからこそ分かったうえで秋山木工に就職する方は本気で超一流の各職人を目指されている方なんだなと非常に強く感じました。

さらに

「風邪を引くことも許さない」

というルールもあるそうです。

2回風邪をひいたら減給、3回目はクビになります。

一見理不尽のようにも感じますが、私は風邪をひきやすい体質なので、とよくいう人がいますが、本当は、ほぼほぼ己の体調管理不足という事なのでしょうね。

秋山木工職人|5年修行して初めて職人として仕事を任される

秋山木工職人

秋山社長は昭和18年に奈良県明日香村に生まれました。

一家は貧しく、食べるものは麦飯とたくあんしかなかったのです。

学校に行っても教科書やノートがなく、成績はオール1で最下位という体たらくでした。

しかし手先だけは器用で、家の修繕などの大工仕事は秋山社長が担当されていました。

近所の家の修繕も行っていたとのこと。

転機が訪れたのは中学校卒業の日でした。

先生から、大阪の注文家具屋への就職を勧められたことが始まりです。

手先の器用さに自信があった秋山社長は、親方に

「作らせてくれ」

と直談判します。

しかし、最初は何も作れませんでした。

親方の前でボロボロと泣き、プライドを捨て、兄弟子に教えてもらう日々が続いたそうです。

しかし努力が実を結び、丁稚になって7年目、22歳で現在の貨幣価値に換算すると100万円の月収を得るまでになっていたのでした。

秋山社長の仕事を見ていた丁稚たちが目を輝かせる瞬間があります。

それは秋山社長のかけた「かんな」の木くずです。

職人の技は見て盗むもの。

丁稚たちにとって、秋山社長の削ったクズは宝物なのです。

丁稚の一人は

「木くずがサーッて出る時の音が全然違う。ツヤもぜんぜん違う。それを見てすごいと思った」

と語ります。

こうして厳しい修行を約5年間経て、初めて職人として仕事を任せられるようになるのです。

秋山木工では8年経つと強制退職させられます。

「職人の伸び盛りは25~28歳の頃。8年経過するとちょうどその伸び盛りの時期。その時期に自分の下にいるのはよくない」

と秋山社長は語られます。

丁稚制度によって一流職人を輩出する秋山社長。

一流職人を育てるということは人を育てるということに他なりません。

それを理解しているからこそ、命がけで丁稚の面倒を見るのです。

世間に知られ、賛否両論が寄せられた秋山木工の丁稚制度。

だが、彼らの腕が一流であることに秋山社長は自信を持っておられます。

 「僕が『こういうふうになって欲しい』というレベルには必ずたどりつく。僕を超える職人を10人以上作ってみせる」。

一流職人が育ち続けている限り秋山社長の人の育て方は正しいと無言で言い続けているように感じますね。

この記事でのご紹介は以上となります。

最後まで記事をご覧いただきましてありがとうございました。

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